大野定吉

久松真一の実父、大野定吉は、安政6年(1859)、岐阜県稲葉郡長良村大字福光字八代村(現在の長良)に、富農で長良村の戸長(今の村長)を務めた大野精平(精平の最初の妻きみは、定吉が生まれてまもなく病死。後、久松こ糸と再婚し久松家を継ぐ)の長男として生まれます。精平は浄土真宗の熱心な篤信者で、西本願寺派の僧侶甲斐到敬に書を学び、精華と号し、伊深の正眼寺雪潭紹璞老師とも交わりのあった風雅の人でした。精平の跡を継いだ定吉は、村会議員として、治水事業など村治に尽くしますが、晩年は一切の公職を辞し、茶道や生花を行じ、絵も描けば表具をし、彫刻もすれば花籠も作り、窯を築いて茶碗を作れば、茶室の設計や造園もするという風流三昧の生活を送りました。大徳寺昭隠禅師から八白庵の号を授かった定吉は、椿をこよなく愛したことから、自らを椿翁と号し、昭和8年(1933)75歳で、その風流三昧の生涯を閉じました。