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美濃派以哉派二十五世 熊谷夜城〜

美濃派以哉派美濃派二十五世  熊谷夜城 

 天保十四年(1843)に生まれる。美濃安八郡墨俣町の人。真宗大谷派万福寺住職。俳号に回夢園、狂骨子など。和歌、漢詩を嗜む。著書に「離合集」。明治四十三年(1910)に没。 



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「強ちに‥」  



美濃派以哉派二十六世  国枝静夜 

 天保九年(1838)に生まれる。美濃大垣代官町の人。旧大垣藩士。俳号に知常庵、白雲仙。著書「月の梅」「梅の玉垣集」。大正十三年(1924)に没。


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「廻文」 




美濃派以哉派二十七世  長屋其馨 

 天保十四年(1843)に生まれる。美濃武儀郡洞戸村の人。俳号に帰兮、紅梅園、黙獅洞、丹砂井など。著書に「月と花」。大正七年(1918)に没。 




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「凩や‥ 」  



美濃派以哉派二十八世 森桂園

 安政三年(1856)に美濃厚見郡加納(岐阜市加納)に生まれる。鹿児島、名古屋、和歌山の各師範学校長、学習院教授、清国西安府の高等師範学校長を歴任。詩文、画にも秀でる。美濃派中興の祖といわれる。俳号に雨後庵、半松。俳誌「獅子吼」創刊。昭和4年(1929)に没。 




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「秋の鵜‥」  



美濃派以哉派二十九世 山田三秋

 明治八年(1875)に美濃本巣郡西郷に生まれる。武儀郡東武芸村谷口(武芸川町)の山田家の養子となる。長屋其馨に俳諧を、佐々木信綱に和歌を学ぶ。俳号に反古庵、耕月仙など。著書に「獅子門俳人名鑑」「花の雨」。昭和十五年(1940)に没。




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「半百の‥」  


美濃派以哉派三十世 南谷翠濤

 明治六年(1873)に生まれる。美濃羽島郡松枝村(笠松町)の人。俳号に、謖々園、一蓬仙、呼山坊、一搨仙など。「獅子門俳人名鑑」を刊行。昭和二十二年(1947)に没。




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「青嵐‥」  
美濃派の系譜展(大垣市)所載作品 



美濃派以哉派三十一世 恩田憲和

 明治五年(1872)に生まれる。美濃武儀郡西武芸村(山県市)の人。俳号に、翠松亭など。遺稿句集に「仏法僧」。昭和二十二年(1947)に没。




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「降る雨に‥」  



美濃派以哉派三十二世 高橋清斗

明治十二年(1879)に生まれる。美濃羽島郡松枝村(笠松町)の人。俳号に光風、瑞泉亭など。著書に「登竜門」「長肥紀行」「松韻」。昭和三十三年(1958)に没。 



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「春風の‥ 虫賀六腑画」  



美濃派以哉派三十三世 足立吾柳

 明治九年(1876)に生まれる。美濃不破郡宮代(垂井町)の人。俳号に自在庵、自由庵、春和坊など。昭和二十八年(1953)に没。



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「横乗りに‥」  



美濃派以哉派三十四世 武藤景行
 明治二十四年(1891)に生まれる。岐阜市黒野の人。俳号に不喧居など。著書に「艤」「寂」。昭和五十四年(1979)に没。



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「峡低う‥」  
美濃派の系譜展(大垣市)所載作品



美濃派以哉派三十五世 益井一
區鳥
 明治十七年(1884)に生まれる。大垣市荒尾の人。俳号に閑以庵、吟松仙など。遺句集に「虫の声」。昭和四十四年(1969)に没。



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「かりかねの‥」  



美濃派以哉派三十六世 川井一白
 明治二十七年(1894)に生まれる。武儀郡武芸川町八幡の人。俳号に一白堂、淡々亭、筑葉山人など。昭和五十四年年(1979)に没。



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「朝鵙の‥」  
美濃派の系譜展(大垣市)所載作品



〈合同以後〉


美濃派三十七世 各務於菟
 明治三十三年(1900)に岐阜県山県郡北野村に生まれる。本名、虎雄。東京帝国大学文学部国文科卒。文部省、岐阜大学教授を経て岐阜市立女子短期大学学長を務める。俳誌「初音」創刊。著書に「俳文学雑記」「俳文学研究」「風雅の誠」など。昭和五十九年(1984)に八十四歳で没。俳文学研究家。文学博士。



美濃派三十八世 澤田蘆月
 明治三十九年(1906)に岐阜県山県郡美山町岩佐に生まれる。本名、政義。俳号、鳴鶴亭。教員。句文集に「残る柿」。



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「踊りの‥」  



美濃派三十九世 國島十雨
 大正五年(1916)に生まれる。岐阜市黒野古市場の人。本名、二郎。別号に起想、五風山、清々園。石田波郷、石塚友二に師事。昭和十年、アンデパンダン誌「陽」を創刊、「詩と創作」(七人会)に加わる。多年「獅子吼」の編集、合同句集「黄山」の刊行に尽力。「鶴」同人。




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「‥」  
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