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郷土の作家略歴一覧

作家略歴                                              

◆山本梅逸・1783〜1856 
名古屋天道町に生まれる。山本蘭亭、張月樵に師事し、後神谷天遊に中林竹洞とともに学ぶ。二十歳のとき京都に出、中林竹洞ともに苦学し名を成す。晩年名古屋に帰り藩の御用絵師となって多くの門人を育てる。江戸後期を代表する画家。安政三年に没。

◆中林竹洞・1776〜1853 
名古屋桑名町に生まれる。一四歳のとき山田宮常に学び、翌年、神谷天遊に入門する。後、京都に出て活躍する。若い頃から理論家として知られ、経史、国学を修める。山本梅逸と並び称される南画家。嘉永六年に没。

◆中林竹渓・1816〜1867 中林竹洞の息子。中林竹洞、山本梅逸に学ぶ。尾張南画を代表する画人。慶応三年に没。

◆山田訥斎・1814〜1873 
羽栗郡笠松(笠松町)に薬種商山田国春の子として生まれる。始め笠松の広瀬春樵に学ぶが、後に山本梅逸に入門し高弟となる。勤王家でもあり、梁川星巌、頼三樹らと親交があった。文人画家。明治六年に没。

◆高橋杏村・1804〜1868  
安八郡神戸村(神戸町)に生まれる。画を中林竹洞、詩を梁川星巌に学ぶ。私塾「鉄鼎学舎」を開き多くの門人を持つ。江戸後期美濃を代表する南画家。明治元年に没。

◆平野泥紅・1813〜1884 
名古屋巾下四間道に生まれる。山本梅逸に学び、曹洞宗の風外本高に参禅する。明治一七年に没。

◆村瀬秋水・1795〜1867  
武儀郡上有知村(美濃市)の庄屋、村瀬敬忠の三男として生まれた。村瀬藤城(長男)、立斎(二男)は兄。幼少のころ、名古屋の張月樵に学ぶが、画家を志すことを許されず藤城を助け家業に従事する。三十歳のとき野呂介石に入門終生師と仰ぐ。藤城死後、分家して山中に隠棲、二十年間、郷里を出ず、画業に専念。江戸後期美濃を代表する南画家。明治九年に没。

◆風花翁雲阿・1806〜1880
生地不明、東照宮別当尊寿院一六世。維新後は上月与那と名乗り祠官となる。山本梅逸、日根野対山に画を学ぶ。書、詩歌、陶芸、彫刻など多方面に才能を発揮した。明治一三年、名古屋で没。

◆喜田華堂・1802〜1879 
不破郡今須(関ヶ原町)に生まれる。京都に出て、岸駒、岸良に学ぶ。岸派の画家として認められ。後年、名古屋にあって、尾張藩の御用絵師を勤める。明治一二年に没。              

◆八田知紀・1799〜1873 薩摩国鹿児島郡西田村生れ。京都の藩蔵役人。宮中歌道御用掛。江戸後期を代表する歌人。明治五年に没。
            
◆森半景・1858〜1938
葉栗郡島村(一宮市)に生まれる。森半逸の弟。始め森泰石、後に田能村直入、山本梅荘に師事し南画を学ぶ。晩年、東京に在住したが、岐阜に住したかは不明。昭和13年に没。

◆森春濤・1819〜1889
 一宮村下馬町(一宮市)に生まれる。詩を有隣舎の鷲津松陰に学び、大沼枕山とともに同門の双璧と謳われる。安政三年、京に上がり、梁川星巌に入門する。文久三年、名古屋に移住し桑三軒吟社を起こし多くの門人を育てる。尾張を代表する漢詩人。明治二二年に没。

◆安田老山・1830〜1883 
高須藩医安田春庵の子として養老竹下に生まれる。初め長崎に赴いて南画家、日高鉄翁に入門するが、後、放逐される。元治元年から明治六年まで中国に滞在し、清の画家、胡遠に師事。各地を写生し宋元の古名画を研究。帰国後東京に住し、東京画壇の中心的南画家として活躍した。明治一六年に没。

◆江馬細香・1789〜1861 
大垣藤江村(藤江町)に、美濃蘭学の祖といわれた大垣藩医江馬蘭斎の長女として生まれる。幼少より書や絵に励み、浦上春琴に南画を学ぶ。梁川星巌、村瀬藤城らと白鴎社を結成。頼山陽を生涯の師と仰ぎ、生涯独身を通した。漢詩人。文久元年に没。

◆梁川星巌・1789〜1858
安八郡曽根村(大垣市)に生まれる。名は卯、字は伯兎。号は詩禅。後、名を改めて、孟緯、字を公圖または無象とした。父は大垣藩士稲津丈太郎長高。十二歳で両親を失う。幼くして、華渓寺太随和尚に句読を受ける。文化4年(1807)、19歳で江戸に遊学し、山本北山塾に入門、経史、詩文を学ぶ。二十九歳帰郷し「梨花村舎」を開き、詩文を研究し子弟に教授した。文政5年(1822)から約10年間、妻紅蘭を伴って、西日本各地を放浪、頼山陽その他の文士と交流、詩名大いに高まる。天保3年(1832)、江戸に出て「玉池吟社」を開き詩文を教授した。門弟には、佐久間象山もいた。弘化3年(1846)、京都に居を移す。嘉永6年(1853)ペリー来航後、吉田松陰、梅田雲濱ら尊皇攘夷の志士との交流を深め、尊皇攘夷運動の中心的役割をになう。安政の大獄直前の安政5年、京都にて急死する。

◆ 小原鉄心・1817〜1872  大垣に生まれる。大垣藩の重臣。藩政の改革。大垣藩を尊皇に導く。志士の筆跡として著名。明治5年に没。

◆村瀬太乙・1803〜1881
美濃上有知村(美濃市)に生まれる。村瀬籐城、頼山陽に詩文を学ぶ。犬山藩儒を務める。奇人として知られ、世塵を脱した気風と、禅画にも似た独特な画風は異才を放つ。明治一四年に没。

◆村瀬藤城・1791〜1853 
美濃上有知村(美濃市)に生まれる。梅花村舎を開き美濃一円に門弟数百人を持つ。頼山陽とは盟友。美濃文壇の重鎮。経世家。嘉永六年に没。

◆村瀬雪峡・1830〜1879 
美濃上有知村(美濃市)に生まれる。村瀬秋水の長男。秋水より画を伯父村瀬籐城、佐藤一斎から詩文 を学ぶ。文人画家。明治12年に没。

◆山本梅荘・1856〜1921 
碧海郡新川、鶴ヶ崎村に山本荘助の子として生まれる。本名、倉蔵。幼いころ半田の山本公平の養子となり、竹本雪斎に書道漢籍を学び、更に京都に出て貫名海屋に学ぶ。明治期を代表する南画家。大正一〇年に没。

◆佐藤一斎・1772〜1859 
岩村藩家老佐藤文永の第二子として江戸藩邸で生まれる。林述斉と並ぶ幕府官学の俊英。儒者。安政6年に没。

◆山中信天翁・1822〜1885 
棚尾村(碧南市)に生まれる。篠崎小竹、斉藤拙堂の門に入り経史を修める。勤王家。維新後、奥州の石巻県知事、登米県知事および民部大丞の官職を歴任するが晩年は隠棲する。独特な画風の書画を多く遺す。明治一八年に没。

◆田邊如亭・1812〜1863 
美濃上有知村(美濃市)に生まれる。初め村瀬藤城に学び、のち頼山陽、佐藤一斎に学ぶ。岩村藩儒。文久3年に没。

◆永田佐吉・1701〜1789 
現・羽島市竹鼻町上鍵屋町に生まれる。貧農の家に生まれ、幼くして両親を失う。10歳で名古屋の紙問屋に奉公に出る。精一杯奉公に励み、暇をみつけては経書に親しむ。帰郷後、綿の仲買を始め、財を築き、石橋や道標、佐吉仏を築いた。人のために尽くす多くの逸話から「仏佐吉」と呼ばれた。心学の実践者。篤志家。羽島市竹鼻町の貧農に生まれる。心学の実践者で仏佐吉と呼ばれた。寛政元年に没。

◆丹羽盤桓子・1773〜1840 
井之口四ツ家町(稲沢市)に生まれる。幼年のころ丹羽嘉言に入門。尾張藩の儒者。能書家。尾張藩主徳川斉温の侍講。藩校明倫堂の教授を務める。天保11年に没。

◆田中大秀・1776〜1847
飛騨高山一之町の薬種商田中弥兵衛の二男に生まれる。幼年より古学への関心深く、21歳で熱田神宮の神職栗田知周に和歌を学び、享和元年(1801)本居宣長に二ヶ月学ぶ。飛騨の古学を盛り立て、荏野文庫を創設し、飛騨総社を再興する。著書に「竹取物語」「土佐日記解」「蜻蛉紀行解」など。弘化3年に没。

◆岩佐一亭・1719〜1858 
高山の人。大師流の書を学び、能書家の名声が高い。山岡鉄舟、幼年時代の書の師。安政五年に没。

◆津田天游・?〜1929 稲
葉郡那加村(各務原市)に生まれる。私塾鳳鳴社を開き、岐阜日日新聞に健筆をふるう。儒者。昭和5年没。

◆棚橋綾子・1839〜1939 
大阪に生まれる。19歳の時に山県郡伊自良郷松尾村、当時失明の学者であった棚橋大作のもとに嫁ぐ。棚橋家没落で辛苦の生活を送るが、その後、東京女子学校校長となる。明治婦人会の指導者。昭和14年、101歳で没。 

◆坪内逍遙・1859〜1935 
加茂郡太田宿(美濃加茂市太田)に代官手代坪内平右衛門の子(一0人兄弟の末子)として生まれた。幼名、勇蔵。東京大学政治経済科を卒業。明治一七年、東京専門学校(後の早稲田大学)の講師(後に教授)となる。翌明治一八年、「当世書生気質」「小説神髄」を立て続けに発表し、日本近代小説の先駆者となる。明治二四年、「早稲田文学」を創刊、明治三九年、文芸協会の創立、明治四二年、演芸協会の設立、昭和三年、私費を投じて、演劇博物館(早稲田大学内)を建設するなど文化の向上に尽力。シェイクスピア研究の第一人者。文学者。昭和一〇年に没。

◆大野百錬・1864〜1941
大垣に生まれる。大垣中学(大垣北高)に勤務。日本書道界の重鎮。昭和16年、78歳で没。

◆日比野五鳳・1901〜1985 安八郡神戸町に生まれる。大垣中学卒業。昭和二年、文検に合格。昭和三年から昭和二三年まで京都府女子師範学校教諭、京都府桃山高等女学校教諭、京都府立女子専門学校講師を務める。初め中学時代の恩師、大野百錬に師事するが、後、独学で仮名書の研究を始める。主に日展に作品を発表。芸術院会員。文化功労者。近代仮名書の最高峰と称される。昭和六〇年に没。

◆伊良湖に生まれる。?〜1746 
二万首の歌を残した漁夫歌人。

◆竹腰豫堂・尾張藩の重臣、今尾竹腰藩九代当主。文武に長じ、多くの書画が残る。名は正美、豫堂と号す。

◆徳川慶勝・1824〜1883 
美濃高須藩主松平義建の二男。初め義恕。尾張徳川家第一四代藩主となり慶勝と改める。

◆本庄道芳・1604〜1668 美濃高富藩祖。

◆小木曽旭光・1882〜1973 
岐阜市長森に生まれる。小学校高等科2年の時に全聾となる。岐阜日日新聞編集長。昭和33年、ヘレンケラー賞受賞。昭和48年、91歳で没。

◆杉山三郊・1855〜1945 
安八郡神戸町に生まれる。東京商科大学(一橋大学)、早稲田大学で書を教える。漢学者で書家。

◆木蘇岐山・1853〜1916 
稲葉郡佐波村(柳津町)に木蘇大夢の第2子として生まれる。大垣の野村籐陰、尾張藩の安藤牧山に漢学を学ぶ。明治19年、日本最初の漢詩雑誌「熙朝風雅」を発行。森塊南らと星吟社を創立し漢詩の興隆に尽力。大正4年に没。

◆川合貞一・1870〜1955
大垣市に生まれる。慶應義塾大学文学部文学科卒。明治32年から4年間ドイツに留学。哲学者。慶應義塾大学部長を務め、文学部の育ての親といわれる。昭和30年に没。

◆大野伴睦・1890〜1964 
山県郡谷合村(美山町)に生まれる。衆議院議長、自由民主党副総裁などを務める。保守政界の重鎮として活躍。昭和39年に没。

◆南条文雄・1849〜1927 
大垣船町に誓運寺住職溪毛芥の三男として生まれる。梵語学を研究、「大明三蔵聖教目録」を編纂。大谷大学学長。仏教学者。昭和2年に没。

◆矢部正子・生没不明 美濃芝原(北方町)に生まれる。小沢蘆庵に学ぶ。歌人。

◆鶴田卓池・1768〜1846 
岡崎菅生(岡崎市)に生まれる。紺屋を業とするかたわら俳諧に打ち込み、三河俳諧の中心リーダーとなる。その俳諧は松尾芭蕉の流れを汲むもので、多くの支持者を得て三河をはじめ、遠州・駿州にも多くの門人を擁し全国的にも名声を馳せ、天保俳壇の四老人の一人に数えられる。弘化三年に没。

◆阪正臣・1855〜1931 
知多郡横須賀町に生まれる。和歌を富樫広厚に学ぶ。御歌所寄人・同主事を歴任し、のち多年にわたって皇族・貴族に歌並びに書を教授する。昭和六年に没。

◆仙石廬元坊・1688〜1747
本巣郡北方村(北方町)に生まれる。美濃派三世。延享4年に没。

◆河村再和坊・1725〜1786 
本巣郡北方村(北方町)に生まれる。美濃派再和派五世。天明6年に没。

◆丹羽玄々庵・1884〜1973 
高須(海津町)に生まれる。美濃派再和二十五世。昭和48年に没。

◆ 青木奚花坊・1801〜1858 
本巣郡曾井村に生まれる。 美濃派以哉派十一世。安政5年に没。

◆田中五竹坊・1700〜1780 
本巣郡北方村(北方町)に生まれる。 美濃派四世。

◆山本友左坊・1756〜1846 
本巣郡美江寺(巣南町)に生まれる。 美濃派以哉派九世。弘化3年に没。

◆ 田中五竹庵・1776〜1830 
本巣郡芝原(北方町)に生まれる。美濃派再和派十世。天保元年に没。  

◆塩谷鵜平・1877〜1940
岐阜市江崎に生まれる。正岡子規に師事。高浜虚子、河東碧梧桐と親交。俳
誌「土」刊行。俳人。

◆ 森桂園・1856〜1929
美濃派以哉派28世。美濃派中興の祖。厚見郡加納(岐阜市加納)に生まれる。鹿児島、名古屋、和歌山の各師範学校長、学習院教授、清国西安府の高等師範学校長を歴任。詩文、画にも秀でる。昭和4年に没。

◆山田三秋・1875〜1940
武芸川町谷口に生まれる。美濃派以哉派二九世。昭和15年に没。

◆ 石田一味庵・1867〜1939
羽島市下中野町に生まれる。 美濃派再和派19世。

◆守洞春・1909〜1985
高山に生まれる。別号、板道人。恩地孝四朗に師事。版画家。昭和60年に没。

◆ 滝井孝作・1894~1984 
高山市に生まれる。河東碧梧桐門下。代表作に「無限抱擁」等。日本芸術院会員。高山市名誉市民。小説家。俳人。

◆富田古観・?〜1832 
知多郡古見村(知多市新知)に生まれる。張月樵に学ぶ。南画家。天保三年に没。

◆石河有リン・1870〜1952 
名古屋城三之丸に尾張藩国老石河正基の三男として生まれる。初め園田忠監に土佐派を、前田正忠に西洋画を学び、織田杏斎に師事し南北合法を学ぶ。花鳥画に優れる。多くの門人を養成し、名古屋画壇の重鎮として活躍。
日本画家。昭和二七年に没。

◆岡本柳南・1848〜1934
名古屋城三之丸御土居下屋敷に尾張藩士岡本梅英の長男。福島柳圃に南画を学ぶ。梅逸風の格調高い画風は評価が高い。篆刻、漢詩、俳句など多芸の人。昭和九年に没。

◆奥村石亭・1874〜1945 
名古屋に生まれる。奥村石蘭の長男。磯部百麟に四条派を学ぶ。名古屋画壇の重鎮として活躍。昭和20年に没。

◆鬼頭道恭・1840〜1904 
名古屋本町に生まれる。初め、森高雅に学び、京都の北村季隆に仏画を、冷泉為恭に土佐派を学ぶ。尾張における仏画の第一人者。明治37年に没。

◆小川鴻城・1884〜1973 
中島郡奥村に生まれる。初め、石川柳城に学び、のち小室翠雲に南画を学ぶ。南画院、帝展などで活躍。日本画家。昭和48年に没。

◆奥村恭法・1865〜? 
西春日井郡杉村に生まれる。鬼頭道恭に仏画を学ぶ。道恭亡き後、仏画の第一人者となる。

◆ 渡辺幾春・1895〜1975 
名古屋に生まれる。初め、水谷芳年に学び、のち山元春挙に学ぶ。文展、帝展で活躍。日本画家。昭和50年に没。

◆水谷芳年・1879〜1928
名古屋本重町に生まれる。初め中島有年に岸派を学び、のち石河有〇に学ぶ。日本美術協会、日本絵画協会などに出品。日本画家。昭和三年に没。

◆毛利梅友・1871〜? 名古屋市下茶屋町に住む。水谷棲谷、田能村直入に師事。南画家。

◆三輪千稲・1896〜? 
名古屋市熱田旗屋町に住む。森村宣稲に土佐派を学ぶ。

◆鷲見秋岳・?〜1904
名古屋白山町の人。鷲見春岳の弟。四条派を兄より学ぶ。明治三七に没。日本画家。

◆石川竹邨・1884〜1952
名古屋市中区元町に住む。東京に生まれ、松本楓湖、鈴木華邨に学ぶ。名古屋の独立大家として活躍。昭和二七年に没。

◆ 加納鉄哉・1845〜1925
厚見郡岐阜本町(岐阜市)に加納甚左衛門の次男として生まれる。本名光太郎。少年時代、父より南画や彫刻の技法を学んだ。安政五年、長良の崇幅寺に入る。文久三年、伊深の正眼寺に転じ雪澤紹璞に師事。明治元年還俗し、以後七年間諸国を漫遊しながら、絵画、彫刻、鉄筆の研鑽に励む。明治七年、東京に出て、彫刻を本業とした。明治一四年、第二回内国勧業博覧会で妙技賞牌三等受賞。明治二一年、東京美術学校設立に際し教授に任命されるが、翌年自ら学校を退く。晩年奈良に住み、「最勝精舎」を設け、正倉院、法隆寺の宝物の模刻など制作に没頭する。鉄哉は早くから日本の古美術に造詣を持ち、フェノロサ、岡倉天心らの古美術保護活動にも貢献した。大正一四年に没。

◆垣内右リン・1825〜1891 高山に生まれる。岡本豊彦、塩川文麟に四条派を学ぶ。明治初頭、飛騨を代表する画家。明治24年に没。

◆佐脇源好・?〜1887 佐脇波登麿の父。冷泉為泰の門下。土佐派の画家。

◆ 佐脇波登麿・1853〜1922
佐脇源好の子。岐阜市万力町に住む。土佐派の画家。大正11年に没。

◆牧田種麿・1835〜1908
岐阜市稲葉通りに住む。土佐光文に師事し土佐派の画法を学ぶ。岐阜を代表する土佐派の画家。

◆山本光種・岐阜松屋町の人。大和絵の画家。略歴不明。

◆松永天章・1879〜? 
垂井町に生まれる。川端玉章門下。鯉の画家として著名。 

◆.鷲見春鄰(1868〜1949)
始め、父、春岳につき四条派を修め、後、京都に出て菊池芳文に学ぶ。主に、高山、名古屋に住む。昭和24年に没。

◆渡辺秋渓・1866〜1940 
名古屋に生まれる。初め、奥村石蘭に、のち久保田米僊に学ぶ。京都府立画学校教授を務める。四条派の画家。昭和15年に没。

◆浮田一宦E1795〜1859
京都に生まれる。名は可為。豊臣を称し、一寫ヨ・昔男精舎などと号した。田中訥言に入門。嘉永二年から翌年まで岐阜に滞在、羽島市の本覚寺に龍の天井画を残す。安政の大獄に連座。勤王家。復古大和絵派の代表的画家。安政六年に没。 

◆日比野白圭・1825〜1914
名古屋に生まれる。尾張藩士間瀬伝蔵の二男、日比野氏の養嗣となる。はじめ画を竹田景甫に学び、ついで鈴木景山の門に入り、さらに森高雅に学ぶ。尾張における明治大和絵の第一人者。土佐派の画家。

◆尾関圭舟・1883〜? 
名古屋に生まれる。日比野白圭に土佐派を学ぶ。中京画檀の重鎮として活躍。

◆森村宣永・1905〜1988 
名古屋に生まれる。東京美術学校卒。松岡映丘に師事し大和絵を学ぶ。主に帝展、日展で活躍。戦後中京画檀における大和絵の第一人者。日本画家。昭和63年に没。

◆加藤英舟・1873〜1939
名古屋日出町に生まれる。幼少より、服部石僊、奥村石蘭に学び、京都に出て久保田米僊、幸野楳嶺、岸竹堂に師事し四条派を学ぶ。明治三〇年、竹内栖鳳に師事し、京都に画塾を開く。内国勧業博覧会、文展、帝展に入選。昭和三年、帝展委員となる。日本画家。昭和一四年に没。
6ページ参照

◆朝見香城・1890〜1974 
姫路市に生まれる。森月城、西山翠嶂に学ぶ。大正元年に名古屋南伊勢町に移住。主に帝展、日展で活躍。昭和25年、愛知県文化功労賞受賞。日本画家。昭和49年に没。

◆上田秋陽・1883〜1967
大垣市俵町に生まれる。大正二年、京都の山田耕雲に入門する。翌年帰郷し、大熊秀斎に入門する。四条派の画家として活躍。昭和四二年に没。

◆伊勢門水・1899〜1977 
名古屋に生まれる。旗幟商を営む名家伊勢屋七代目の当主。独学で絵を学ぶ。狂言画の画家として著名。昭和7年に没。

◆丹羽玉邦 ・1882〜1951
名古屋の人。初め石河有〇に学び、のち東京にて川合玉堂、橋本雅邦に学ぶ。帰郷後南区新宮坂町に住み、熱田年中行事絵巻・歩射神事図を描く。大和絵風の気品高い作品を多く残す。昭和二六年に没。

◆福田柏齢・生没不明 岐阜市梅ヶ枝町に住む。東京の畑仙齢に学ぶ。岐阜県美術協会の創立者。大正期、日本画家として活躍。

◆ 大橋万峰・1860〜1943
安八郡大垣北新町(大垣市新町2丁目)に代々染物屋を営む大橋亀三郎の長男として生まれる。大橋翠石の兄。 昭和18年に没。

◆佐藤翠渓・1884〜1926
大垣市に生まれ、岐阜市春日町に住む。山田松渓、小森呉橋門下。大橋翠石に私淑。「虎の画家」として著名。昭和15年に没。 
◆本田陰軒・1883〜1950
本巣郡七郷村に生まれる。文人画家。昭和25年、67歳で没。

◆大熊秀斎・1871〜1938 
大垣本馬場町に生まれる。川辺御楯に土佐派を学ぶ。昭和13年に没。

◆水野柳人・1873〜1959
郡上八幡町に生まれる。鮎の柳人として知られる。商家の出身で旦那衆でもあった柳人は絵画のほか     に俳句を嗜み、茶の湯に精通した風流人であった。谷崎潤一郎、柳宗悦、菊池寛、大仏次郎ら多くの     文人墨客と交わる。昭和三四年に没。

◆仁林聾仙・1865〜1935
大垣藩士後藤五介(後に仁林と改名)の三男として、大垣代官町に生まれる。明治三年、五歳のとき、川に落ち、一命はとりとめたが聴力を失う。明治一五年、京都に出て久保田米僊、森寛斎に入門、四条派の画を学ぶ。明治二八年、九州漫遊の途につき、途中耶馬渓に滞在。帰国後、大垣市東長町に居を定める。明治36年、大阪勧業博覧会に「初冬山水」出品、二等銀牌受賞。大正八年、南満州鉄道株式会社総裁野村龍太朗の招きで満州へ渡る。大連のヤマトホテルの壁画制作。以後満州に定住。四条派的要素のなかにも漢画的な独自な画風を持つ作品を残す。昭和一〇年、大連にて没。日本画家。

◆佐々木尚文・1890〜1970 
大野町黒野に生薬商を営む佐々木元三郎の次男として生まれる。本名武郎。多治見で陶磁器の絵付けをする画工として働く傍ら画家を志す。明治41年、川合玉堂に書生として入門。主に帝展で活躍する。昭和20年長野市に疎開、晩年を同地で暮らす。日本画家。昭和45年に没。

◆清水古関・1879〜1949
不破郡表佐村(垂井町)に清水範三の次男として生まれる。明治30年、京都市立美術工芸学校に入学。卒業後、竹内栖鳳、菊池芳文に学ぶ。明治43年、岐阜市加納に転居。以後、画塾を開き、後進の指導をする。日本画家。昭和二四年に没。

◆野原桜州・1886〜1933 
揖斐川町三輪に金物屋「江戸屋」を営む野原佐助の長男として生まれる。本名安司。明治三八年、東京美術学校に入学し寺崎広業に師事。卒業後一時岐阜に住むが、大正八年京都に移る。薔薇の桜州として知られる。昭和八年京都にて没。

◆坂井藍涯・1873〜1959
不破郡荒崎村(大垣市十六町)に素封家坂井沖右衛門の長男として生まれる。明治二〇年頃上京し、橋本雅邦、奥村石蘭、松本風湖らに日本画を学ぶ。明治二四年、父の死去により帰郷。同年、京都の今尾景年に入門する。明治二八年、日本絵画協会展に「群鴨図」を出品し宮内省買上げとなる。日本絵画協会評議員として活躍。明治二六年、内国勧業博覧会で二等銀牌を受賞。日本画家。昭和三四年に没。

◆林雲鳳・1899〜1989 
土岐郡笠原村(笠原町)に製陶業を営む林仲四郎の四男として生まれる。本名、雄一。名古屋の森村宣稲に師事。昭和3年(1927)、宣稲の勧めにより上京、松岡映丘に師事。昭和5年、第11回帝展に「海の浄土」初入選。昭和10年、映丘門下により、紅日会結成。昭和20年、戦災により笠原町に帰る。主に帝展で活躍。日本画家。平成元年に没。

◆高木美石・1886〜1947
養老郡多良村(上石津町)に生まれる。大橋翠石に私淑し独学で日本画を学ぶ。翠石に次ぐ「虎の画家」として高名。昭和22年に没。

◆ 小島一谿・1899〜1974
岐阜市加納に生まれる。幼少の頃一家で横浜に転居。大正二年、川端絵画研究所洋画科に入学。日本画に転向し、大正5年、前田青邨に入門。 主に院展で活躍。昭和49年に没。

◆池田虹影・1892〜1956
  郡上八幡町に生まれる。旧姓橋本晴治郎。竹内栖鳳門下。文展、帝展で活躍。日本画家。昭和31年に没。

◆玉舎春輝・(1880〜1938)
高山市上枝町に生まれる。幼年、古川町の玉舎家の養子となる。明治32年、京都に出て鈴木松年に学び、後、山本春挙門下となる。主に文展で活躍。日本画家。昭和13年に没。

◆小寺礼三・名古屋の人。大和絵の画家。

◆川合玉堂・1973〜1957
愛知県葉栗郡外割田村(木曽川町)に生まれる。本名芳三郎。明治一四年、一家で岐阜市米屋町に移住する。明治二〇年、京都の望月玉泉、幸野楳嶺に入門。明治二九年、東京の橋本雅邦に入門。昭和一五年、文化勲章受章。
近代日本画の巨匠。昭和三四年、青梅市にて没。

◆白井烟ー・1894〜1976
愛知県豊橋市に生まれる。大正六年、松林桂月に入門。大正九年、第二回帝展に初入選。帝展、新文展、日展を舞台に活躍。昭和三五年、日本南画院が創設され理事に就任。日本画家。昭和五一年に没。

◆嶋谷自然・1904〜1993 
鳥羽市に生まれる。矢澤弦月、西山翠嶂に師事。昭和10年頃名古屋に移住。昭和45年、名古屋芸術大学教授に就任。日展参与。日本画家。平成5年に没。

◆横山春渓・1899〜1979 
羽島郡中屋村(各務原市)に生まれる。橋本関雪に師事。主に帝展、日展で活躍。日本画家。昭和54年に没。

◆加藤静児・1887〜1942
海部郡十四山村に生まれる。東京美術学校卒。川崎小虎らとともに愛知社を結成。大正九年から大正一一年にかけて渡仏。光風会会員。帝展無審査。洋画家。昭和一七年に没。

◆臼杵一穂・1905〜1981 
香川県に生まれる。京都絵画専門学校卒。名古屋に移住し、青龍社に入り、川端龍子に師事。青龍展で活躍。日本画家。昭和56年に没。

◆田中比左良・1890〜1974
可児郡御嵩町に生まれる。郷土の南画家、松浦天竜に学ぶ。郵便局勤務の後、主婦の友社に入社、挿絵を担当する。フリーとなり装丁、挿絵作家として活躍。独自でユーモラスな美人画の世界を築く。昭和四九年に没。

◆水谷清・1902〜1977 郡上八幡町に生まれる。小杉放庵に師事。春陽会会員。洋画家。昭和52年に没。           

◆加賀孝一郎・1899〜1988 
海津町に生まれる。明治35年、名古屋に転居。名古屋の鈴木不知、岸田劉生に師事。春陽会会員。昭和63年、愛知県美術館で遺作展。洋画家。昭和63年に没。

◆ 北蓮蔵・1876〜1949
岐阜市北長森に生まれる。明治二二年、山本芳翠の画塾「生巧館」に入る。明治二七年、同塾を受け継いだ黒田清輝の指導を受ける。明治三〇年、東京美術学校入学。明治三一年同校卒業。白馬会会員。洋画家。昭和二四年に没。

◆江崎寛友・1910〜1984 
岐阜市に生まれる。昭和4年、太平洋画会展で受賞し上京、小山正太郎美術研究所に学ぶ。昭和6年、太平洋美術学校に入り中村不折に師事。太平洋洋画会会員。示現会の創立に参加。洋画家。昭和59年に没。

◆北川民次・1894〜1989 
静岡県榛原郡五和村牛尾(金谷町五和)の地主の家に生まれる。早稲田大学予科を大正3年に中退し、オレゴン州在住の兄を頼って渡米。ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグの夜学に学ぶ。ジョン・スローンに師事。学友に国吉康雄がいる。大正12年、メキシコに渡り、シケイロス、リベラ等と交友。昭和6年、タスコに野外美術学校を移して校長となる。昭和11年帰国、翌年の第29回二科展に《タスコの祭》ほかを出品し、会員に推挙される。昭和18年より瀬戸に移住。昭和53年、二科会長となるも同二科会を退会。日本を代表する洋画の巨匠。平成元年、瀬戸市で没。

◆伊藤廉・1888〜1983
名古屋市生まれ。明治大学文学部中退。愛知県立医学専門学校中退。本郷洋画研究所に通う。大正九年東京美術学校西洋画科入学。大正一二年二科展初入選。昭和二年渡欧。昭和五年二科賞受賞。独立美術協会創立会員。昭和一三年曽宮一念、里見勝蔵らと霜林会を結成。昭和三一年国画会会員。東京芸大教授。愛知県立芸術大学教授。昭和四四年中日文化賞。昭和五八年、名古屋で歿。

◆ 矢橋六郎・1905〜1988 大垣市赤坂町に生まれる。東京芸術学校卒業。山口薫、村井正誠らと「新時代」結成。 自由美術協会、モダンアート美術協会の創立に参加。武蔵野美術大学、東京美術大学講師。昭和46年に没。

◆坪内節太郎・1905〜1979
各務原市那加に生まれる。独立、行動展で活躍。洋画家。昭和54年に没。