B-176 彭城百川 田中五竹坊賛
Sakaki Hyakusen / Tanaka Gochikubou

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作家名
B-176 彭城百川 田中五竹坊賛 ささき ひゃくせん、たなか ごちくぼう
作品名
芭蕉翁像
価格
1,200,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 時代箱
本紙寸法39.6×124.8
全体寸法41.6(胴幅)×193㎝
作家略歴

彭城百川
元禄10年(1697)~宝暦2年(1752)

わが国の南画は、祇園南海、彭城百川、柳沢淇園の三人により、その基礎が確立されたのであった。このころをもって日本南画史上の初期と見なすことができる。(河野元昭)

名古屋本町の薬種商八仙堂に生まれる。本姓は榊原、通称を土佐屋平八郎という。号に八仙堂、僊観、蓬洲など。はじめ松角と号して俳諧の世界に入り、享保6年(1721)25歳の『庵之節句集』に最初の入集が見られる。享保19年(1728)32歳の末頃から翌年にかけての頃に京都に移り、百川とあらためる。元文2年(1738)42歳頃から5年間ほど伊勢地方に滞在しているが、所在の中心は京都にあった。作画は、延享元年(1744)48歳頃から盛んになり、年紀作のほとんどはこの年から宝暦元年(1751)55歳の間に集中し、その間「法橋」位も獲得し、職業画家として生計をたてていたと思われる。また、建部凌岱、中山高陽、与謝蕪村ら多くの芸術家らと交流する。主な俳書に『本朝八僊集』があり、『元明画人考』という中国画家辞典を編纂。延享4年(1747)51歳の時に描かれた『春秋江山図屏風』(東京国立博物館蔵)は、重要文化財に指定されている。

(参考文献・特別展「知られざる南画家 百川」)

田中五竹坊 元禄13年(1700)~安永9年(1780)

美濃国本巣郡北方に生まれる。幼名、幸次郎、後、市郎八。俳号に五筑、琴左、帰童仙など。各務支考、仙石廬元坊に俳諧を学ぶ。やがて五竹坊は道統を安田以哉坊に譲るが、両者の間に論争があり、以降美濃派は以哉派と五竹坊の門人河村再和坊に発する再和派(北方派)に分裂する。主な著書に『入梅の後』『「七めぐり』『十二夜話』『帰童仙句評』など。

コンディション他

今に伝わる百川作品は少ない。芭蕉翁像は、特別展「知られざる南画家 百川」(名古屋市博物館・昭和59年)に一点、参考図版(佐々木昌興氏のコレクションで東京国立文化財研究所より写真提供を受けて掲載された図版)のなかにあるが、佐々木昌興氏のコレクションは焼失したと伝えられ、百川の芭蕉翁図としては、現在確認される唯一のものである。

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