A-389 中川一政
nakagawa kazumasa





- 作家名
- A-389 中川一政 なかがわ かずまさ
- 作品名
- 學 ばせを
- 価格
- お買い上げ頂きました
- 作品詳細
- 額装 紙本水墨 共シール 自筆書簡付 黄袋 段ボール差し箱入
作品寸法23.9×27p
全体寸法48.7×52p - 作家略歴
- 中川一政
東京本郷区西片町に生まれる。明治44年頃、セザンヌやゴッホに傾倒し絵を描き始める。大正3年、巽画会展に『酒倉』を出品し入選。岸田劉生の目にとまる。大正4年、清宮彬、椿貞雄、岸田劉生らと「草土社」結成に参加。この頃、武者小路実篤、志賀直哉、長與善郎らを知る。大正11年、石井鶴三、木村荘八、岸田劉生、椿貞雄らと共に春陽会の客員となる。昭和2年、暁烏敏著『釈迦基督その他』の装丁をする。昭和12年、小川芋銭、菅楯彦らと墨人倶楽部を結成。昭和35年、長與善郎、武者小路実篤、梅原龍三郎と四人展を開催。昭和49年、パリで個展。昭和50年、文化勲章受章。昭和59年、東京都名誉都民。昭和61年、松任市(現白山市)名誉市民。同年、松任中川一政記念美術館開館。平成元年、神奈川県真鶴町に真鶴町立中川一政美術館が開館。油彩画の他、岩彩、書、篆刻、陶芸、装丁、また随筆や紀行文など多岐に渡り自由奔放な才能を発揮し、ほぼ独学で時流に流されない生命感溢れる独自な世界を築く。
- コンディション他
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松尾芭蕉の弟子、服部土芳の『三冊子』に次のような一文があります。 《師のいはく、学ぶことはつねにあり。席に臨んで、文台と我と間に髪をいれず。おもふ事速にいひ出て爰(ここ)に至つて迷ふ念なし。文台引下ろせば即反古なりときびしく示さるる詞もあり。或時は大木倒すごとし。鍔本にきりこむ心得、西瓜きるごとし。梨子くふ口つき、三十六句みなやり句などといろいろにせめられ侍るも、みな巧者の私意を思ひ破らせんの詞なり。》師とは芭蕉です。学ぶことはつねにあり、傲ることなく、互いの言葉に耳を澄まし、精神を集中し、無心になり、空を切り裂くがごとく言葉を弾かせる。大事なことは、自分をさらけだし、互いのこころをかよわせること、一生懸命その場を生きること。そして、今日の自分に執着することなく、文台引下ろせば即反古なりということです。芥川龍之介は自著『芭蕉雑記』のなかでこの一文を引用し、「この芭蕉の言葉の気ぐみは殆ど剣術でも教へるやうである。到底俳諧を遊戯にした世捨人などの言葉ではない」と記しています。連歌を簡素化した俳諧連歌である「連句」は、江戸時代の庶民文化に広く浸透し、各地で句会が開かれます。俳諧宗匠である芭蕉はこの「座の文芸」と呼ばれる連句に強い執着を持って門弟を指導しました。服部土芳が書き残したこの芭蕉の言葉は、句会に参加する弟子や町衆に、その厳しい心構えを示すものですが、それはまた、芭蕉自らへの反問であり、蕉風俳諧の根本精神を表すものでした。
中川一政のこの作品には次の内容の手紙が添えてありました。
『画廊で書展をやりたいといふ事で昨年から書いてためました 私は書をかいて画の上に得る事があり二つのものが別々のものでない、お互がたすけあって進歩するものだと考えてをります』
中川一政は、芭蕉の俳諧精神のなかに、何を思い、何を感じ、この言葉を書いたのか。この独特な書体を味わう楽しみはいつまでも尽きません。
額、作品とも美品です。
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