D-423 三木清
Miki Kiyoshi

 三木清 1
 三木清 2
 三木清 3
 三木清 4
作家名
D-423 三木清 みき きよし
作品名
朝永三十郎宛書簡
価格
180,000円(税込)
作品詳細
便箋寸法28 ×22
封筒寸法15.6×12.5㎝
作家略歴

三木清
明治30年(1897)~昭和20年(1945)

兵庫県揖保郡平井村小神(現在のたつの市揖西町)に生まれる。第一高等学校在学中、西田幾多郎の『善の研究』に影響を受け、京都帝国大学文科大学哲学科へ進む。大正11年(1922)から大正14年(1925)にかけてドイツ、フランスへ留学。ハイデルベルグ大学でリッケルトに、マールブルク大学でハイデガーに学ぶ。帰国後、法政大学教授に就任するが、昭和5年(1930)、日本共産党への資金提供容疑で検挙、拘留され法政大学教授を退く。出所後は独自のマルキシズムを深め、著述に専念する傍ら『岩波講座哲学』『岩波新書』の立ち上げに尽力する。昭和20年(1945)6月12日、治安維持法の容疑者をかくまったという容疑により検挙拘留され、同年9月26日、豊多摩拘置所の極悪な処遇を受け、疥癬(カイセン)の悪化により獄死する。主著に『パスカルに於ける人間の研究』『歴史哲学』『哲学ノート』『人生論ノート』など。

朝永三十郎
明治4年(1871)~昭和26年(1951)

長崎県東彼杵郡川棚町で生まれる。明治31年(1898)、東京帝国大学哲学科を卒業。明治42年(1909)、ドイツに留学し、ハイデルベルク大学でウィンデルバントに師事。大正2年(1913)帰国し、京都帝国大学文科大学哲学科教授に就任。西洋近世哲学史の先駆的研究を行う。主著に『近世に於ける「我」の自覚史』『デカルト』『デカルト省察録』『カントの平和論』『哲学史的小品―ルソー・カント・ロッツェ』『ルネッサンス及び先カントの哲学―西洋近世哲学史第一冊』など。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は長男。

コンディション他

朝永先生

その後如何お暮しでございますか。いつかベルリンの大使館で日本の新聞をみましたとき、先生のカントの政治論に關するお著述が出版されたことを知りまして大変嬉しく存じました。私は相変らず讀書生活を續けてゐます。新しく出る書物も少しは讀んでみました。そのとき私はいつもフリードリッヒ・シュレーゲルが讀逸人は "rezensierendes Volk" であると云つた言葉を思ひだします。私には矢張古典的なものが懐かしく感じられます。
 マルクの値が無暗に下るので獨逸もこれから先如何なるかと思つてゐます。ベルリンあたりのでは乞食と泥棒との数が殖えたと云ふことです。或は獨逸も一度どん底までいつてみるのがいゝかとも考えないでもありません。獨逸が倒れゝば勿論佛蘭西も駄目になるでせう。かうして歐羅巴全体が苦しむと云ふことが新しい文化が産れるためには必要なことでもあるでせう。實際歐羅巴の文明はこれまでのところで確にゆきつまつてゐた一面があつたのをこちらへ來てはつきり感じることが出來ました。私は今獨逸の苦しむと云ふことに却て神の攝理と云つたものをさへ感じるやうに思ひます。世界史は今新しい方向に力強く動きつゝあるのでせう。私はこの運動の中心にゐて、嘗てゲーテがvalmyの日を経驗しながら云つた言葉を用ひ起して微笑まずにはゐられません。「こゝから、そして今日から世界歴史の新しい時代は出撥する。そして貴方がたはその場合に居合はせたと云ふことが出來るのである。」
 騒しい獨逸の中でもハイデルベルヒは靜かなので喜んでゐます。今は林檎や梨の収穫時なので郊外へ出ると自然の豊饒が感謝されます。今年は果物の豊年で窮迫した食糧問題もそのために少しは緩和されやうと云はれてゐる位です。先日は阿部次郎さんに山で逢つて半日話し込みました。九月には田辺先生もこゝを訪ねられるやうな通信がありました。  先生のご健康を祈つてゐます。 淸。

(未発表書簡と思われる。)

ご購入前にこちらをご一読ください。

この作品の購入お申込み

作品紹介

Web
書画ミュージアム

長良川画廊
アーカイブス

過去の掲載作品より随時拡張中

このページのTOPへ