A-382 富岡鉄斎
tomioka tessai












- 作家名
- A-382 富岡鉄斎 tomioka tessai
- 作品名
- 萬頃烟波図
- 価格
- お買い上げ頂きました
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本淡彩 緞子裂 象牙軸 山田介堂箱
富岡鐵齋鑑定委員会証明書 二重箱入
作品寸法34.2×133p
全体寸法53.4×204.5p - 作家略歴
- 富岡鉄斎
天保7年(1837)〜大正13年(1924)京都三条通新町の法衣商十一屋伝兵衛・富岡維叙の次男として生まれる。字、無倦。本名、百錬。別号、鉄人、鉄史、鉄崖等。幼い頃難聴となる。幼少の頃から石門心学に親しみ、15歳頃から大国隆正に国学を、岩垣月洲らに儒学を学ぶ。安政2年、18歳の頃、女流歌人 大田垣蓮月尼のもとに同居し大きな影響を受ける。翌年、南北合派の窪田雪鷹、大角南耕に絵の手ほどきを受け、その後、南画を小田海僊に、大和絵を浮田一惠に学んだ。文久元年、長崎に遊学し、祖門鉄翁、木下逸雲らの指導を受ける。また、勤王家と盛んに交流し国事に奔走する。維新後の30歳から40代半まで大和国石上神社や和泉国大鳥神社の神官を勤める。明治14年、兄伝兵衛の死に伴い京都薬屋町に定住。本格的な画家生活に入る。明治29年、田能村直入、谷口藹山らと日本南画協会を発足。帝室技芸員。帝国美術院会員。「最後の文人」とも謳われる。近代日本の生んだ最大の画家の一人。
山田介堂
明治3年(1870)〜大正13年(1924)福井県丸岡に生まれる。通称、巳三郎。別号、隻玉道人。京都に出て細谷玄斎に師事し、のち富岡鉄斎に師事する。大正10年、水田竹園、矢野矯村らと日本南画院(前進は日本南画協会)の設立に参加。田近竹邨、池田桂仙とともに京都南画壇の三元老と称される。
- コンディション他
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山水寂寥水木明瑟
萬頃烟波一竿風月水木明瑟・林泉の佳勝をいう。「明瑟」は、鮮やかなさま。萬頃・広いところ。「頃」は面積の単位、一頃=百畝。烟波・煙波。もやのかかった水面一竿風月・一本の釣竿に世事を忘れて風月を楽しむこと。
富岡鉄斎、70代前後から80代前後の作品と推定します。 本紙に多少のシミがありますが、現状にて鑑賞できると思います。
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