華岡青洲 Hanaoka Seishu

宝暦10年(1760)~天保6年(1835)

紀伊国(現在の和歌山全県と三重県南部)那賀郡名手荘西野山村(現在の和歌山県紀の川市西野山)の医家直道の長男として生まれる。名は震、字は伯行、通称を随賢、青洲は号。父もオランダ外科を学んだ医師。天明2年(1782)、京都に出て吉益南涯に古医方を学び、また大和見立にオランダ外科を学ぶ。天明5年(1785)、帰郷し医業を継いだ。文化元年(1804)、世界で初めて全身麻酔下での乳房外科手術を行う。

  (以下、小学館日本大百科全書(ニッポニカ)より引用)
古医方派の実証主義をとり、「内外合一、活動究理」、すなわち内科・外科を統一し、生き物の法則性を明らかにすることを信条として、積極的な診療技法を展開した。彼の開発した麻酔薬「通仙散」は、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)を主剤とするもので、ヨーロッパの薬方に採用されていることを知ったのがヒントになり、中国医書を参考に改良を加えたものである。成分の配合と麻酔効果の関係を研究するため、たびたび被験者として協力した母は、おそらくその中毒によって死亡、妻も失明した。この麻酔薬を用いて多くの手術を行ったが、1804年(文化1)10月13日、紀州五條(ごじょう)の藍屋(あいや)利兵衛の母、勘に行われた乳癌摘出手術は日本最初である。手術は成功したが、患者は翌1805年2月に死亡している。このほかに乳癌手術だけでも150例ほど行っている。門人録に署名しているのも305人、広く全国から入門が相次いだ。

華岡青洲 鶴舞千年梅
鶴舞千年梅

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