加納鉄哉 Kanou Tessai

厚見郡岐阜本町(岐阜市)に加納甚左衛門の次男として生まれる。本名光太郎。少年時代、父より南画や彫刻の技法を学んだ。安政5年、美濃長良の崇幅寺に入る。文久3年、伊深の正眼寺に転じ雪澤紹璞に師事。明治元年還俗し、以後七年間諸国を漫遊しながら、絵画、彫刻、鉄筆の研鑽に励む。明治7年、東京に出て、彫刻を本業とした。明治一四年、第二回内国勧業博覧会で妙技賞牌三等受賞。明治21年、東京美術学校設立に際し教授に任命されるが、翌年自ら学校を退く。晩年奈良に住み、「最勝精舎」を設け、正倉院、法隆寺の宝物の模刻など制作に没頭する。鉄哉は早くから日本の古美術に造詣を持ち、フェノロサ、岡倉天心らの古美術保護活動にも貢献した。

観自在菩薩図
観自在菩薩図
加納鉄哉 寒山拾得
寒山拾得
加納鉄哉 巌上観音図
巌上観音図

画像をクリックしてください