会期 平成18年4月4日~5月7日
会場 ギャラリーウートレ

モダンって何?

古川秀昭

いろはにほへど

古川秀昭

1944年(昭和19年)旧満州奉天市(現瀋陽)に生まれる。1946年(昭和21年)引揚げ後、青森、函館に住む。函館市弥生小学校(3年夏まで)、名古屋市松原小学校(3年後半)、東京中野区塔ノ山小学校卒業。中野区第三中学校卒業。新宿高校卒業。高3夏まで医者を志すが、秋から画家になることを決意。一年浪人飯田橋の水道端絵画研究所に通う。1968年(昭和43年)東京芸術大学美術学部絵画科卒業。1969年(昭和44)「川口保子・古川秀昭」二人展(地球堂ギャラリー)。1970年(昭和45年)20回モダンアート展 受賞。1971年(昭和46年)個展(サエグサ画廊)。同年、アメリカ、ヨーロッパ壁画研修。1976年(昭和51年)個展(椿近代画廊)。1977年(昭和52年)27回モダンアート展 受賞、同会会員になる。1979年(昭和54年)個展(岐阜近鉄百貨店)、日本美術家連盟会員となる。イタリア受胎告知画研修。1980年(昭和55年)「上斗会」展(岐阜近鉄百貨店)出品。1981年(昭和56年)「奥行彦・古川秀昭・矢橋六郎」三人展(名古屋、東京、大阪、丸善画廊)。1982年(昭和57年)「ACT」展出品(岐阜県美術館)以後毎年出品。1983年(昭和58年)「SHION」展(岐阜県美術館)出品、以後隔年出品。1985年(昭和60年)イタリア受胎告知画研修。1987年(昭和62年)「視線展」出品、以後1991年を除き1998年まで連続出品。1992年(平成4年)愛知県美術館開館記念展「東海の作家たち」出品。1995年(平成7年)「岐阜市所蔵美術展」(岐阜市歴史博物館)。1997年(平成9年)「西濃における現代の美術」(大垣スイトピアセンター)。2002年(平成14年)グループ「微動展」(銀座・シロタ画廊)結成。 現在(平成18年)、岐阜県美術館館長。

この作品は、1975年(昭和50年)、作家31歳のときに制作され、翌年の個展(椿近代画廊)で発表された。当時の日本は、60年代の高度経済成長から1970年(昭和45年)の大阪万博を転換点に、公害問題、ベトナム戦争の泥沼化、1972年(昭和47年)の連合赤軍事件、1976年(昭和51年)の ロッキード事件と、明治維新以降、国家、社会、個人を支えてきた日本のモダニズム=近代主義の限界が露呈する。美術の世界でも、社会全体の行き詰まり感と呼応するよに、画家は何のために絵をかくか、画家は何をかくかという、表現における「意味性」は喪失していく。モダニズム美術の終焉といわれるその今において、絵画表現の同時性を求めつつ、尚、画家が主体性を持ってかくことに格闘した当時の痛々しい魂の痕跡をこの作品から見いだすことができる。

長良川画廊企画展の歩み長良川画廊