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近世文学
J-262 平田篤胤

J-262 平田篤胤Hirata Atsutane

 平田篤胤 1
 平田篤胤 2
 平田篤胤 3 平田篤胤 2
作家名
J-262 平田篤胤ひらた あつたね
作品名
和歌短冊
価格
御買上げ頂きました
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 金襴緞子裂 象牙軸 高田早苗識箱
本紙寸法6 ×35.6
全体寸法(胴幅)31.8×161.3㎝
作家略歴

平田篤胤
安永5年(1776)~天保14年(1843)

秋田藩士大和田祚胤の子。20歳で脱藩、江戸に出て備中松山藩士平田篤穏の養子となる。本居宣長の思想に感銘を受け、夢のなかで宣長の許しを得えたといって「宣長没後の門人」を自称。宣長学の立場から太宰春台の『弁道書』を批判する『呵妄書』を執筆。また、宣長の古道説を宗教的な復古神道に発展させ、日本は最もっとも優れた神の国であると主張した。荷田春満、賀茂真淵、本居宣長と並び「国学の四大人」と称される。

高田早苗
安政7 年(1860)~昭和13年(1938)

江戸深川(現在の東京都江東区)の通船問屋に生まれる。号、半峰。明治15年(1882)、東京大学卒業後,大隈重信に協力して立憲改進党の結成や東京専門学校(早稲田大学)の創立に参画。明治20年(1887)、読売新聞主筆。明治23年(1890)、第1回総選挙で衆議院議員となり外務省通商局長、文部省参与官などをを歴任。第2次大隈内閣では文相を務めた。大正12年(1923)、早稲田大学総長に就任。帝国学士院会員。法学博士。著作に『教育時言』『半峰昔ばなし』など。

コンディション他