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歴史人物 2
D-663 三島中州

D-663 三島中州Mishima Chushu

 三島中州 1
 三島中州 2
 三島中州 3 三島中州 4
作家名
D-663 三島中州みしま ちゅうしゅう
作品名
詩書
価格
45,000円(税込)
お申込中
作品詳細
掛け軸 絹本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法40.8x130.2
全体寸法(胴幅)46.6x179cm
作家略歴

三島中州
天保元年(1831)~大正8年(1919)

備中窪屋郡中島村(現在の岡山県倉敷市)の庄屋の家に生まれる。名は毅、字は遠叔、通称は貞一郎。別号に桐南、絵荘、陪鶴老仙など。天保14年(1843)14歳のとき、備中松山藩藩儒山田方谷の牛麓舎に入塾。嘉永3年(1850)21歳で方谷の代講を務める。嘉永5年(1851)、伊勢に遊学、斎藤拙堂に学ぶ。安政元年(1854)、ペリー艦隊探索のため江戸に出て、『探辺目録』を著す。安政4年(1857)、江戸に遊学し、安積艮斎、安井息軒ら諸儒を歴訪、翌5年、昌平黌に学ぶ。安政6年(1859)、備中松山藩校有終館の学頭に就任。文久2年(1862)、松山藩主板倉勝静が老中(外国事務掛)となり、方谷とともに幕政に関わる。維新後は、司法省に出仕し、大審院判事を務める。明治10年(1877)、退官し東京麴町一番町に漢学塾二松學舍(後の二松学舎大学)を開塾、漢学を教授した。明治21年(1888)、再び司法省に出仕し大審院検事となり新撰民法の編纂に従事。東京高師,東京帝大古典科教授,東宮侍講,宮中顧問官を歴任する。著書に「霞浦游藻」「三日文詩」「論学三百絶」「中洲詩稿」「中洲文稿」「虎口存稿」など。

コンディション他

【原文】
松青梅白遶祠壇
祀遍荒村僻落間
文武感人同一致
匹如関廟満唐山
 菅廟 後学三島毅拝草

【訓読】
松青く梅白く、祠壇を遶(めぐ)る
祀は荒村に遍(あま)ねくする、僻落の間
文武の人を感ずること同じく一致す
あたかも関廟の唐山に満るがごとし。
 菅廟 後学三島毅拝草

【訳文】
松は青く、梅白く、道真公の祠壇をかこんでいる。
その祭祀は、僻地の荒村でも広くゆきわたっている。
道真公の文武の偉業が人を感ぜしめることはどこでも同じなのだ。
それは関帝(関羽)の廟が中国のあちこちに祀られているようなものである。

 菅廟 後学三島毅拝草本紙、僅かに小シミ。