湯川秀樹/歴史人物 2/掛け軸、絵画の買取 販売 鑑定/長良川画廊

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歴史人物 2
D-666 湯川秀樹

D-666 湯川秀樹Yukawa Hideki

 湯川秀樹 1
 湯川秀樹 2
 湯川秀樹 3
作家名
D-666 湯川秀樹ゆかわ ひでき
作品名
詩書
価格
180,000円(税込)
作品詳細
額装 紙本色紙
本紙寸法x2
額寸法xcm
作家略歴

湯川秀樹
明治40年(1907)~昭和56年(1981)

東京市麻布区市兵衛町(現在の東京都港区六本木)に生まれる。父、小川琢治は、地質学者、京都帝国大学名誉教授。長兄、芳樹は、冶金学者、東大教授。次兄、茂樹は、歴史学者、京大教授、文化勲章受賞。弟、環樹、中国文学者、京大名誉教授。明治41年(1908)父が京都帝国大学教授となり京都に転居する。昭和4年(1929)、京都帝国大学理学部物理学科卒業。同大学理学部副手として理論物理学を研究。昭和7年(1932)、京都帝国大学理学部講師となる。湯川スミ(本名は澄子)と結婚し湯川姓となる。昭和9年(1934)、核力とβ崩壊を媒介する場の量子として新粒子(中間子)の存在を予言。以降、非局所場の理論、素粒子の統一理論へと発展させる。昭和14年(1939)、京都帝国大学教授。昭和18年(1943)、文化勲章受賞。昭和23年(1948)、プリンストン高等研究所に招かれ渡米。昭和24年(1949)、コロンビア大学客員教授となり、ニューヨークに移る。昭和24年(1949)、核力に関する中間子理論によりノーベル物理学賞受賞。昭和30年(1955)、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルと、アメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタインが中心となり提起された、核兵器の廃絶、科学技術の平和利用を訴えた宣言文に、マックス・ボルン、パーシー・ブリッジマン、レオポルト・インフェルト、フレデリック・ジョリオ=キュリー、ハーマン・J・マラー、ライナス・ポーリング、セシル・パウエル、ジョセフ・ロートブラットら科学者らと連盟で署名。この宣言を受けて、昭和32年(1957)にカナダで開かれた第 1 回パグウォッシュ会議(科学と世界問題に関する会議)に参加する。優れた思索家、詩人としても知られ、湯川秀樹著作集(岩波書店)がある。

コンディション他

《秋ながら枝より枝にとぶ鳥はまだ声あげぬ鶯なり》

美品です。