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D-634 徳川家康

D-634 徳川家康Tokugawa Ieyasu

 徳川家康 1
 徳川家康 2
 徳川家康 3
 徳川家康 2
 徳川家康 3
作家名
D-634 徳川家康とくがわ いえやす
作品名
西尾光教(美濃揖斐藩初代藩主)宛書状
価格
御買上げ頂きました
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 金襴緞子裂 時代二重箱
本紙寸法49 ×16.5
全体寸法(胴幅)63×97.5㎝
作家略歴

徳川家康
天文11年(1542)~元和2年(1616)

三河岡崎城主松平広忠の長男。母は水野右衛門大夫忠政の娘。幼名、竹千代。初名、元信のし元康。院号、安国院。幼時から隣国の織田・今川氏の人質として育つ。永禄3年 (1560)、桶狭間の戦い後、西上する織田信長と同盟を結び東へ進出。信長の死後その子信雄を助け、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉と戦うが和睦し臣従した。秀吉の死後、石田三成を関ヶ原の戦いで破り、天下の覇権を握った。慶長8年(1603)、夷大将軍宣下。慶長10年(1605)、将軍職を子秀忠に譲って駿河に引退したが幕政を後見。慶長19年(1614)、大坂冬の陣、慶長20年(1615)、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼし幕府の基礎を築いた。

西尾光教
天文12年(1543)~元和元年(1616)

美濃揖斐藩初代藩主。斉藤道三、織田信長、羽柴秀吉に仕え、天正16年(1588)、曽根城(現在の大垣市曽根町にあった。)に2万石で入城。慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で東軍についたため、曽根城は大垣城攻略の最前線となる。関ヶ原後、武功により1万石を加増されて揖斐藩3万石の藩祖となる。夏の陣直後の元和元年(1616)、駿府にて死去。

コンディション他

【原文】
為重陽之祝儀
小袖一重贈給
承悦之至候猶
牧野讃岐守可申候
恐々謹言
九月八日 家康(花押)
西尾豊後守殿

※牧野讃岐守は、牧野康成(1548~1599)のこと。徳川家康の直参。

書状は、西尾光教が、重陽の節句の祝儀として小袖一重を主君家康に献じ、それに対する家康の礼状(祐筆、花押のみ親筆)。