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D-628 浮田一蕙

D-628 浮田一蕙Ukita Ikkei

 浮田一蕙 1
 浮田一蕙 2
 浮田一蕙 3
作家名
D-628 浮田一蕙うきた いっけい
作品名
六人部是香宛書簡
価格
150,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法74.5 ×16
全体寸法(胴幅)66.7×106㎝
作家略歴

浮田一蕙
寛政7年(1795)~安政6年(1859)

京都の人。名は可為(よしため)。別号、一蕙斎、昔男精舎など。大和絵の田中訥言に師事。宇喜多秀家の後裔といい、詩文と和歌に長じた勤王家でもあった。安政5年(1858)、安政の大獄で捕縛されるが翌年釈放される。代表作に「神風夷艦を覆するの図」、公武合体策による和宮降嫁の策謀を風刺した「婚怪草紙絵巻」など。

六人部是香
寛政10年(1798)~文久3年(1863)

山城国乙訓郡(現在の京都府長岡京市)向日神社祠官六人部節香の養子となり、その職を継ぐ。通称は縫殿、美濃守。号は葵舎、篶舎(すずのや)。文政6 (1823) 年、江戸に出て平田篤胤に入門。主著に『顕幽順考論』『長歌玉の小琴』『古道本義伝』『産須那社古伝抄広義』。

コンディション他

【原文】
みすゝかるしなのすみた川
昔男楼より御起居伺候
文とも届候哉否新年
目出度迎春御栄昌
奉賀候父子無異乍憚
御安意可被成下候去七月
御造営二付一日も入洛之旨
修理御奉行より蒙命帰郷
後無寸暇御ふさた仕候例之
御会始しなのより御さし出候
其后御無音に而心外之至に存候
春来腫物に相悩み平臥致候
しかし近々には全快と存候
新年
太平生時節六十有一春
光蔭如旅客前途順
物新
前文略
天地のひらけそめにし
むかしより
幾歳呼やまは
ふしのね
すみた川懐旧
伸上りみめくり見れは
ふねのうちに
きしの花ちる
すたの春かせ

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花その少将君より梅を
おりて給りけれは
ふして見る梅のさえたの
うちむかふ海のうみにと
うつるをふかき

不特丹仙験截肉且啣杯
毀傷不絶悲臥見瓶中梅
右病間作
御憐察可給候
先は年始御祝詞起居
如此義候恐惶謹言
二月十三夜 豊臣可為
篶舎君
侍史御中
時候不順御自愛専一
奉祈上候