渡辺海旭
明治5年(1872)~昭和8年(1933)
東京市浅草区田原町に生まれる。号、阿雷狂史、壺月。14歳の時、浄土宗西光寺瑞山海定のもとで得度。のちに西光寺を継ぐ。明治28年(1895)、浄土宗教学本校を卒業。明治33年(1900)、浄土宗第1期海外留学生としてドイツのシュトラスブルク大学に留学。E・ロイマンに師事し、サンスクリット語やチベット仏教、比較宗教学を学ぶ。明治43年(1910)、帰国し、宗教大学教授、東洋大学教授、大正大学教授及び理事長を歴任。高楠順次郎とともに『大正新修大蔵経』の刊行に尽力した 。また、ドイツ留学中、キリスト教徒の「実際的」な慈善事業の在り方を学び、帰国後、深川に労働者救済会館を設立するなど、社会事業の先駆者としても活動した。遺稿集に『壺月全集』(2巻)。
【翻刻文】
粛復、霜風凛烈歳
華将ニ逝かんと申候。世外并
自分匆忙ニ有之候節、益
御清寧化導弥御
旺昌之御義、為邦為
宗、千万拝賀此事奉
存上候。劣弟、依旧愚蒙
唯々頑健、聊犬馬之労ニ
服御座候条、乍憚御安
意奉願度候。扨過
般ハ両回尊書を忝
うし、特ニ今回ハ御鄭
重之御慰問と共に佳
品恵与を忝うし、何
とも慚汗、銘謝之至ニ
御座候。当方より者、甘や(?)
ほか拝呈、愚衷相表
候度、心得ニ御座候へ共、
不取敢拝謝之辞迄
如此候。時下寒威酷
烈、何卒千万
御自重之御義、為
人天祝祷仕居候。以上。
右奉再拝
十二月十八日
渡辺海旭
長崎老僧正
御侍者中
【読み下し文】
拝復、霜風が凛烈として今年もまさに終わろうとしております。世間の事も自身の事も多忙であります今日此頃、ますます御清勝にて、御布教も御繁昌のこと、国のためにも宗派の為にも、はなはだ結構なことでございます。わたくしも、相変わらず頑健に過ごし、犬馬の労に従事しておりますので、どうぞ御安心くださいませ。
さて、過日は二回にわたり、御手紙をいただき、特に今回は御丁寧なる御慰問に預かると共に、結構なお品を頂戴いたしまして、何とも恐縮にて、深謝のいたりでございます。当方より、□などを拝呈申し上げ、衷心を表明いたしたく存じますが、とりあえず御礼の御手紙申し上げます。時下、寒さ厳しきおりから、なにとぞ御自愛下さいますよう、人天の為にも祈念申し上げます。以上。
十二月十八日
渡辺海旭
長崎老僧正
御侍者中
美品です。