田宮如雲
文化5年(1808)~明治4年(1871)
尾張藩士大塚三右衛門正甫の第二子として生まれ、田宮半兵衛の養子となる。名、篤輝。通称、弥太郎。号、桂園。尾張藩主徳川慶勝の側用人として藩政改革に取り組む。明治2年(1869)、名古屋藩大参事。文武に秀で、謹厚忠直の士として知られる。
【原文】
沐猴冠者是何人
素自吾郷刈草民
誰料一鎌銛発此
東方刈尽及西隣
乎篤輝
【訓読】
沐猴冠者、是れ何人ぞ。
素自(もとよ)り吾郷の刈草の民なり。
誰れか料らんや、一たび鎌銛此れより発(おこ)るとは。
東方刈り尽して西隣に及ぶ。
乎篤輝
【訳文】
冠をつけたこの猿冠者はいったい何者だ。
これはもとより我が郷土の草刈りの農民だよ。
誰れが予想できようか、こやつがここから戦乱を引き起こそうとは。
日本の関東は既に平定し、次に隣りの国に兵火が及んだよ。
乎篤輝
本紙に若干小折れ、裂にヨゴレ。