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近代文学、哲学
C-306 山田耕筰 西條八十

C-306 山田耕筰 西條八十Yamada Kousaku/ Saijo Yaso

 山田耕筰 西條八十 1
 山田耕筰 西條八十 2
作家名
C-306 山田耕筰 西條八十やまだ こうさく、さいじょう やそ
作品名
秋風の歌
価格
120,000円(税込)
作品詳細
額装 紙本色紙
本紙寸法24 ×27
額寸法43.6×54.2㎝
作家略歴

西條八十
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山田耕筰
明治19年(1886)~昭和40年(1965)

旧福島藩士で医者、キリスト教伝道師の山田謙造の子として東京市本郷に生まれる。明治29年(1896)10歳の時に実父を亡くし、巣鴨宮下にあった自営館(後の日本基督教団巣鴨教会)に入館し13歳まで過ごす。明治35年(1902)、姉のガントレット恒子を頼り、岡山の養忠学校に入学し、義兄G.E.L.ガントレットから音楽の手ほどきを受ける。その後、転校して関西学院普通学部1年に入学。在学中の16歳秋に初めての作品「MY TRUE HEART」を作曲する。同本科中退し、明治37年(1904)、東京音楽学校予科入学、明治41年(1908)、東京音楽学校(後の東京芸術大学)声楽科を卒業。明治43年(1910)から3年間、三菱財閥の4代目当主岩崎小弥太の援助を受けてドイツのベルリン王立芸術アカデミー作曲科に留学し、マックス・ブルッフなどに学ぶ。留学中、日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲する。大正2年(1913)末、帰国後は、日本最初の交響楽団である東京フィルハーモニー管弦楽団を創設。大正7年(1918)、ニューヨークに渡りカーネギー・ホールで自作管弦楽作品を演奏。ニューヨーク近代音楽協会および全米演奏家組合の名誉会員に推挙される。大正9年(1920)、日本楽劇協会を設立し、日本における交響楽やオペラの普及に尽力し、北原白秋と共同編集の月刊『詩と音楽』誌を創刊、日本語の語感を生かした歌曲・童謡(「待ちぼうけ」「からたちの花」「この道」など)の作曲法を確立して国民音楽樹立運動を起こすなど、生涯にわたり日本の音楽界に指導的役割を果たした。昭和11年(1936)、フランス政府レジオン・ドヌール勲章受章。昭和31年(1956)、文化勲章受章。

コンディション他

秋風のなかにゆれてる
あれは紅い雲だよ 西条八十

美品です。