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D-662 入江九一

D-662 入江九一Irie Kuichi

 入江九一 1
 入江九一 2
作家名
D-662 入江九一いりえ くいち
作品名
書状
価格
御買上げ頂きました
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法34x24.3
全体寸法(胴幅)46x129cm
作家略歴

入江九一
天保8年(1837)~元治元年(1864)

長州藩足軽、入江嘉伝次の長男として生まれる。名、弘致、弘毅。通称、万吉、杉蔵。字、子遠。安政4年(1857)、松下村塾に入る。安政6年(1859)、吉田松陰の老中間部詮勝暗殺計画とそれに続く伏見要駕策に、弟、野村靖(和作)とともに加担、ともに岩倉獄に投獄される。元治元年(1864)、禁門の変に参戦、槍を顔面に受け負傷し、自刃する。久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿と並び、松下村塾四天王とよばれる

コンディション他

入江九一書簡
【原文】
和作も不召捕候て物屋入被仰付候。夫ニ付而ハ矢張
弁当運ヒニ而御座候。兄弟日々弁当運ヒてハ、実ニ貧
窮知難と候。和作帰る後、母ノ心、猶更思われて、
実ニ食も不欲候。昨日も小田村先生へ放囚ノ事心配申
遣シ、其係へも□参り呉候。私方、昨夜も今日も今以
命下り不申候。杉蔵別ニ何そ大罪てもありての
事ならハ、奈何せん、和作ハ脱走ヲ留ぬとて、
親も兄弟も捨テ、餓死ニスルデハ余りムゴイ事
なり。是ヲ行ハ餓死ヨリ外ニ致方無之、ソレデハ
君公ノ不徳ヲ拵るといふもの也。杉蔵丈ケハドフデも
放囚ノ願ヲシテ見度、肺肝ノ書を草稿
シ懸ケ候得共、どふも胸ニツマリテ篇カ調不申候。
何卒彼先ヲ先生調テ呉玉へ。和作追捕
ノ掩援ヲシテ、不召捕テ物屋入とハ莫太ノ恩ナリ。
政府、杉蔵等へハ恩も情も丸て懸ぬといふニても
ナイヨフニ被思候。和作へ恩情アリテ、母ノ心ハ
何もカマハヌ、一族ノ餓死も省みハセヌト
イウコトカ、又ハ母ノ戚と煩費ノ夥敷等ノコト、
政府ノ君子へ不急申候か、一体ノ詳論ヲ聞
迄ハ、杉蔵ノ放赦ヲ願度存候也。

廿四日  杉 第一舎

※和作‥野村和作
※杉蔵‥入江九一の名。
※小田村先生‥小田村伊之助(楫取素彦)。吉田松陰と関係のある人物。
※第一舎‥野山嶽北房第一舎

【訳文】
和作も召し捕られず、物屋入(物置に押し込め)を仰せ付つけられました。それにつきましては、やはり、弁当運びをせねばなりません。兄弟が毎日弁当を運んでいては、まことに貧窮のほどが知れません。和作が帰った後も、母親の心配が案じられて、まことに食欲もございません。昨日も小田村先生へ放免のことをお願いにつかわしまして、その係へも行っていただきました。私方には、昨夜も今日も今以て、命令は下っておりません。杉蔵が別に何か大罪でもあってのことでしたら、いたしかたもありませんが、和作は脱走を止めなかったといって、親も兄弟も捨て、餓死させるようでは余りにもムゴイ事です。このようにしたら餓死より他には致し方ありません。それでは、君公様の不徳をこしらえるということになります。杉蔵だけは、どうしても放免をお願いをしてみたいので、心底からの書状を草しかけましたが、どうも胸につまって篇が整い申しません。なにとぞ、この書状を先生にお整えいただきたい。和作は追捕の救援をして、召し捕られず物屋入とは莫大の厚恩です。政府も杉蔵等へは恩も情も全くかけないということでもないように思われます。和作へは恩情をかけても、母親の心は何もかまわない、一族が餓死してもかえりみないということでしょうか。又は母親の親戚や費用のかかることなどで、政府の君子諸子へ急いで申し上げないのか。一件の詳論をうかがうまでは、杉蔵の放免を願いたく存じます。

廿四日 第一舎

まずまず美品です。