山本空外
Yamamoto Kugai

 山本空外 1
 山本空外 2 山本空外 3 山本空外 4
 山本空外 5 山本空外 6
作家名
山本空外 やまもと くうがい
作品名
七覚心花開
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 共箱
本紙寸法33.4×137.8cm
全体寸法46.8×200.5cm
註釈

《七覚心花開》
七覚にして心華(しんげ)開く。

インドでは信仰の教えは、書いた文字ではなく、話す言葉によって伝承されるという伝統がある。釈尊の時代、人々は聖者の言葉を耳で聞き記憶した。七覚(七覚支)とは、釈尊の言葉を、釈尊滅後しばらくの後、弟子たちによって編纂されたと伝えられる法句経『ダンマ・パダ』に由来する。以下は、その部分、パーリ原文より二者による邦訳である。

中村元訳
第六章 賢い人
覚りのよすがに心を正しくおさめ 執着なく貪りを捨てるのを喜び 煩悩を滅ぼし尽くして輝く人は 現世において全く束縛から解きほごされている

友松円諦訳
第六品 賢哲
こころは菩提(さとり)の諸分(みち)に 正しく修習 すべての染著(まよい)をすて 著(まつわり)を離るることを楽しみ 知見を有(も)ち 漏(まよい)の尽きたるもの かかる人々はすでに この世において 涅槃(さとり)に入れるなりけり

上記の部分それぞれ、「菩提の諸分」「覚りのよすが」が覚支を意味し、覚支とは悟りに至る七つの部分をまとめたものである。

《七覚心花開》は、 弁栄上人が説いた「光明(十二光)」のうち「無称光」より引用したものと思われる。以下は、弁栄上人「人生の帰趣」より。

無称光 ― 信仰第二期、恩寵開展

深秘内容唯自証知言説をもて顕示する能はず。無称光と名づく。 すでに如来の霊により三心四修五正行をもて信仰心を養成す。聖経を読み、晨昏の拝礼十分、自己の従来の悪素質を脱却し、内容ますます発達し、すでに純熟し、心機開展するを加行位と名づく。心機開発すべき規則を七覚支と名づく。

資糧位の五根五力をもて心機を修養し、五力にて発達し、進んで七覚支となりて心華(しんげ)を開発せしむ。

1、択法覚支
専ら意を一に他の雑念を捨て、一に如来の霊性を得んことに専注す。
2、精進
勇猛専精に霊に進趣して止まず。意志勇敢にして専精にして関門を突貫せんとす。
3、喜
三昧に入らんとする予兆として身心悦予を覚ゆ。
4、軽安
一心は霊に乗ずる故に軽く、心霊なるが故に身安穏を覚ゆ。
5、定
一心の波浪、すでに息み、湛然たる三昧、心水に聖霊の月、宛然として感応し、ここに於て心華初めて開きて霊応を感ず。神秘の門を開きて神霊の内容を知見す。これを仏知見開示とす。八面玲瓏歓天喜地、この時に先駆として感発するものは明相日輪の如く、また星の如くに徹照し、あるいは瑠璃宝地を見、また満月の妙容を観る等、これ心理の正知見に相当す。
6、捨
初めて三昧に入らんには、一心勇猛に専ら意志を注集して入ることを得。しかるに久しくして純熟するときは任運無作にして、自ら霊と相応する故に捨と為す。即ち任運無意識的の義なり。
7、念
已に霊応に感化して後は意志の発動、おのずから霊ならざるはなし、故に念覚支と名づく。心情には如来の中に融合す。楞厳に、聖胎已に成じて如来の霊相心中に成ず、この時の歓喜言語に堪えたり、とは心情融合したる状態なり。この心象門の歓喜光によりて感情融合し、安立する時に相当す。無称光の名義は心開発したる融合の対象を無称光と名づく。如来深秘の内容は玄妙にして思慮に超絶す。しかるに実行理性なる心機開発し、三昧定中に霊を感じ、神秘冥合の状は冷暖自知、ただ自ら証知感知するのみにして、言語を以てその実意、即ち真味を詮して佗に感知せしむる能はざるが故に無称光と名づく。初期には難思光とは初心未だ証人せざる時は、思慮分別の及ばざる処なり。第二期にはすでに開覚して霊を感ずる時は、おのずからその真味を感じ悟入す。しかれども称説して他に示すべきものにあらず。故に無称の名あり。
こに到つて未曽有の妙象を感じ、仏知見を開き、真相を悟入し、情操一転し、如来の中に安立す。主我亡じ如来の個人たる自己なるを意識す。意志一変するを更生と為す。理想の往生なり。これは五位の中の信と住とに相当す。知見を開きて如来の真理を証明し、信忍して疑はざるに至るを信位と名づけ、情操如来真我の中に安住して主我を脱し、意志一転するを住位となす。

「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏」し、「七覚支」を正しく修得すれば、この世において涅槃(さとり)に入ることができる。