一戸兵衛
安政2年(1855)~昭和6年(1931)
弘前藩士一戸範貞の長男として生まれる。陸軍大将。旅順攻略戦で勇名を馳せる。退役後、学習院院長、明治神宮宮司、帝国在郷軍人会長を務める。
爾霊山険豈難攀
男子功名期克艱
鐵血覆山山形改
萬人齊仰爾霊山 爾霊山は嶮(けん)なれども豈(あに)攀(よ)じ難(がた)からんや
男子功名克艱(こっかん)を期す
鐵血山を覆って山形(やまがた)改まる
>萬人齊(ひと)しく仰ぐ爾霊山 ※爾霊山は、旅順の二〇三高地のこと。 二〇三高地はいかに険しくとも、どうして攀じ登れないことがあろう。男子、功名のために艱難辛苦に打ち克つ覚悟を期した。砲弾の鉄片と将兵の尊い血が山を覆い、山の形も変わってしまった。今静かに仰ぎ祈るのは、まさしく爾(汝)の霊の山。
まずまず美品です。