頼三樹三郎
Rai Mikisaburou








- 作家名
- 頼三樹三郎 らい みきさぶろう
- 作品名
- 詩書
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本 緞子裂 木崎好尚識箱 二重箱
本紙寸法 21.5x28
全体寸法(胴幅)44.6x138.5cm - 註釈
【原文】
壮士揚々踰故関
草衣長剣自東還
晨穿瀟勃笠端雨
夕踏渺茫鞋底雲
満服汪洋匯芝海
一嚢彭脹貯蓮山
快然拍案説経歴
使我恍過蘇嶺間
君挙従兄西帰過京弟醇稿【訓読】
壮士揚々として故関を踰ゆ
草衣長剣、東より還る
晨に穿がつ、瀟勃たる笠の端の雨
夕に踏む、渺茫たる鞋の底の雲
満服汪洋と芝海に匯まり
一嚢彭脹と蓮山に貯わう
快然と案を拍きて経歴を説かば
我をして恍として蘇嶺の間を過ぎらしむ
君挙従兄の西帰して京を過ぎる弟醇稿【訳文】
壮士が意気揚々と古き関所を越える。
粗末な衣服に長剣を携え、東の国より帰ってきた。
朝には滂沱と笠の端をしたたる雨をついて行く。
夕には渺茫とした雲の底を鞋で踏みこえる。
広々とした芝浦に集まる魚をたらふく食い、
富士山を行けば詩嚢はいくらでも一杯になる。
痛快な思いで机をたたきながらその話を聞けば
わたしは心中恍惚として、木曽の山中を歩き通す。
君挙従兄の西帰して京を過ぎる弟醇稿※頼鉉―儒者。頼春風の孫、頼景譲の男。号は達堂、字は君挙、通称は三千三。昌平黌出身。程朱学派。維新後は堺師範学校教員となる。明治17年(1884)歿、70才。
木崎好尚
慶応元年(1865)~昭和19年(1944)本名、愛吉。大阪朝日新聞社に22年間勤務。大正3年、退社後、金石文を研究、『大日本金石史』三巻により学士院賞受賞。晩年は山竹会、山陽会を主宰し、頼山陽、田能村竹田の研究に成果をあげた。著書に『頼山陽全書』八巻、『田能村竹田全書』三巻がある。