近衛基熙
慶安元年(1648)~ 享保7年(1722)
近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として生まれる。母は後水尾天皇の皇女昭子内親王。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父の尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮(後水尾天皇の第三皇女)の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熈が迎えられて上皇の保護下で育てられた。内大臣、右大臣、左大臣を経て、元禄3年(1690)、従一位関白。宝永6年(1709)、太政大臣。和歌のほか諸芸に通じ、特に書道においては、平安朝の名筆を規範とする上代様の奥義に達し、復古和様の先駆をなした。
水のあやに紅葉のにしきかさねつゝ河瀬の浪のたゝぬ日ぞなき
健守法師・拾遺集
本紙、僅かに小皺。