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B-306 祇園南海

B-306 祇園南海Gion Nankai

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作家名
B-306 祇園南海ぎおん なんかい
作品名
墨竹図
価格
450,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 絹本水墨 緞子裂 象牙軸
頼潔並びに平尾竹霞並びに江上瓊山識箱
本紙寸法40.6x121.5
全体寸法(胴幅)56.3x207㎝
作家略歴

祇園南海
延宝4年(1676)~宝暦元年(1751)

紀州藩医祇園順庵の長男として生まれる。名、瑜(ゆ)。字、伯玉。通称、余一。新羅三郎義光に発する源氏であることから、源瑜、阮瑜と自称した。出生地は江戸を通説とする。元禄2年(1689)、木下順庵に入門し朱学を学ぶ。同じ門弟に、榊原篁洲、新井白石、室鳩巣、雨森芳洲、松浦霞沼らがいる。元禄9年(1697)、父の死去により家督を継ぎ、元禄12年(1699)、紀州藩儒となる。元禄13年(1700)、「放蕩無頼」(『祇園系譜』)、「不行跡」(『家譜』)により二百石の知行を取り上げられたうえ、長原村(現在の和歌山県紀の川市貴志川町長原)に謫居を命じられる。宝永7年(1710)、藩主徳川頼方(後の将軍吉宗)によって放免され紀州城下に戻る。(この放免には新井白石の尽力があったと伝えられる。)正徳元年(1711)、儒官に復す。同年、江戸に於いて室鳩巣、三宅観瀾らとともに朝鮮通信使応接の任にあたる。朝鮮の学士李東郭は南海の漢詩を高く評価し、南海の『伯玉詩稿』に序文を寄せる。正徳2年(1712)、朝鮮通信使応接の功により知行二百石に復す。正徳3年(1713)、藩校湊講館が創設され教官となる。以降没するまで藩儒を務め、50歳前後からは本格的に画作に取り組み、その画業は、池大雅や彭城百川ら次代の文人画家に大きな影響を及ぼし、文人画創始者の一人に数えられる。

平尾竹霞
安政3年(1856)~昭和14年(1939)

丹波多紀郡篠山町(現在の兵庫県篠山市)に生まれる。16歳で円山四条派の塩川文麟に師事。文麟没後は、田能村直入に師事した。

頼潔
安政4年(1857)~昭和4年(1929)

京都の人。頼支峰の第一子。頼山陽の孫。名、潔。字、庫三。号、龍三、華陽、子誠など。漢学者。

江上瓊山
文久元年(1861)~大正13年(1924)

長崎の人。名、景逸。字、古希。長谷川晋斎、守山湘帆に師事。

コンディション他

本紙、裂に多少小シミ。