千少庵
天文15年(1546)~慶長19年(1614)
千利休の婿養子。千宗旦の父。通称は四郎左衛門。宗淳とも号した。利休切腹後、会津の蒲生氏郷のもとに蟄居を命じらるが、文禄3年(1594年)、徳川家康、蒲生氏郷のとりなしにより、秀吉に赦されて京に戻り、不審庵をついで千家を再興した。
【原文】
不及御返事候、以上。
昨日者、御茶給、殊ニ御
口切、過分々々。今朝七条へ
参候而、後刻懸御目、御礼
可申入候。恐々謹言。
四日 (花押)
少庵老□□ 古織
【訳文】
この手紙の御返事には及びません。以上。
昨日は、御茶をいただきまして、特に
御口切をいただき、過分の御高配でありました。
今朝は七条へ参りましてから、後ほどお目にかかり、
御礼申し上げます。恐々謹言。
四日 (花押)
少庵老□□ 古織