中村蘭台
安政3年(1856)~ 大正4年(1915)
陸奥国若松(福島県会津若松市)に生まれる。諱は蘇香、字は伯表、通称に稲吉、別号に香艸居主人など。本姓は須藤氏。父は会津藩士であったが、勤王思想をもったことで藩主の怒りに触れ自刃。残された母は3人の男子を連れて江戸に出る。三男の蘭台は浅草の船問屋に養子に出され中村姓となる。はじめ篆刻を高田緑雲に学んだのち、文彭、何震の刻法を学び秦漢の印を研究。37歳の頃、徐三庚の作品に衝撃を受け、以後はその作風に傾倒した。印材に木材を用いることを研究し、精巧な技術を開発した。明治40年(1907)、河井?廬、浜村蔵六、岡本椿所、山田寒山らと丁未印社を創立し篆刻の発展に尽した。
《性操心粗者 一事無成 心和氣平者 百幅自集》(菜根譚)
性操に心粗なる者は、一事も成ることなし。心和し気平らかなる者は、百幅おのずから集まる。
《甲辰嘉平月中澣蘭台作》
甲辰(明治37年)嘉平(12月)月中澣(中旬)蘭台作