【利休書状原文】
為明春祝儀、
青銅百疋、送被
下候。過当至極
令存候。仍鳥目
百疋送進申候。
当春御祝儀
計候。何様面上
刻、可得御意候。
恐惶頓首。
抛筌斎
二月十日 宗易判
下 宮内卿法橋
人々御中
【利休書状訓読文】
明春の祝儀として、
青銅百疋、送り下され候ふ。
過当至極に存ぜしめ候ふ。
仍りて鳥目百疋、送り進らせ申し候ふ。
当春の御祝儀計りに候ふ。
何様面上の刻に、御意を得べく候ふ。
恐惶頓首。
抛筌斎
二月十日 宗易判
下 宮内卿法橋
人々御中
【利休書状訳文】
新春の御祝儀として、
銭百疋をお送り下さいました。
過分至極に存じます。
よって銭百疋をお送り申します。
当春の御祝儀ばかりでございます。
ともかくお目にかかった時に、
御意を得たいと存じます。
恐惶頓首。
抛筌斎
二月十日 宗易判
下 宮内卿法橋
人々御中
【啐啄󠄁斎書付原文】
貴書忝拝見仕候。如貴命
春寒候御座候。益御安泰
被為成御座、奉賀候。然者、
利休文一幅、御手ニ入候に付、
□□拝見仕候。至極之出来
御座候。任仰、箱極書相認候而
入御覧申候。出来宜、ケ様之
文ハまれニ御座候。永ク御秘蔵
可然哉と奉存候。右之段得
貴意度、早々如此御座候。
恐惶謹言
千宗左(花押)
二月三日
(宛先切り取り)様
参人々御中
【啐啄󠄁斎書付訓読文】
貴書忝じけなく拝見仕り候ふ。
貴命の如く、春寒の候に御座候ふ。
益す御安泰御座成らせられ賀し奉り候ふ。
然れば、利休の文一幅、御手に入れ候ふに付き、
□□拝見仕り候ふ。至極の出来に御座候ふ。
仰せに任せ、箱極書、相い認め候ふて御覧に入れ申し候ふ。
出来宜しく、ケ様の文はまれに御座候ふ。
永く御秘蔵然るべく哉と存じ奉り候ふ。
右の段、貴意を得たく、早々此のごとく御座候ふ。
恐惶謹言
千宗左(花押)
二月三日
(宛先切り取り)様
人々御中に参る
【啐啄󠄁斎書付訳文】
お手紙かたじけなく拝見いたしました。おっしゃるように、春寒の気候でございます。
ますます御安泰でいらっしゃいまして賀し奉ります。
さて、利休の書状一幅を御入手されたとのことで、
□□拝見いたしました。とても良い出来でございます。
仰せのように、箱の極わめ書きを認めましたので、御覧に入れます。
出来が良く、この様な手紙はまれでございます。
永く御秘蔵されるにふさわしいと存じます。
右のこと、貴意を得たく、早々かくのごとくでございます。
恐惶謹言
千宗左(花押)
二月三日(宛先切り取り)様
人々御中に参る
下間頼芸
天文16年(1547)~元和2年(1616)
本願寺の坊官下間光頼の子。通称は源四郎、宮内卿。別名は頼玄、頼賢。下間頼廉、下間仲孝、下間頼承、下間頼純と共に本願寺中枢を形成する下間氏出身の年寄衆5人の内の1人。
鵬雲斎
大正12年(1923)~令和7年(2025)
茶道裏千家15代家元。道号法諱は汎叟宗室。斎号は鵬雲斎。若宗匠時代は宗興。昭和18年(1943)、学徒出陣、特攻隊に志願するが終戦により除隊。同志社大学卒業。昭和24年(1949)、大徳寺後藤瑞巌のもとで得度。昭和39年(1964)、父・宗室の死去により、15代裏千家今日庵家元宗室を襲名。
堀内不仙斎
明治22年(1889)~昭和20年(1945)
茶道表千家堀内家10世家元。
啐啄󠄁斎
延享1年(1744)~文化5年(1808)
表千家8代家元。道号法諱は件翁宗左。斎号は啐啄󠄁斎。天明8年(1788)の大火で焼失した家元の再建に尽力。寛政元年(1789)、利休200年忌の茶事を行う。隠居後は、宗旦を名乗る。
美品