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近代文学、哲学
C-309 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太

C-309 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太Masaoka Shiki / Naito Meisetsu / Sakamoto Shihouda

 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太 1
 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太 2
(参照)
『俳人の書画美術第7巻子規』(集英社)所収「病床図画賛」
 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太 2 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太 2
 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太 4
 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太 5
作家名
C-309 正岡子規 内藤鳴雪 阪本四方太
まさおか しき/ないとう めいせつ/さかもと しほうだ
作品名
病床図画賛
価格
御買上げ頂きました
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 象牙軸 寒川鼠骨鑑定書 合箱
本紙寸法36.6×25.7
全体寸法(胴幅)49.7×126㎝
作家略歴

正岡子規
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内藤鳴雪
弘化4年(1847)~昭和元年(1926)

伊予松山藩士、内藤同人の長男として東京に生まれる。明治期の官吏。本名は素行。号は南塘、破焦、老梅居など。文部省参事官を経、常盤会寄宿舎の監督となり、寄宿生であった正岡子規に俳句を学んだ。円満洒脱な人柄はその俳風にもうかがえる。著に「鳴雪句集」、「鳴雪自叙伝」、「鳴雪俳句集」など。

阪本四方太
明治6年(1873)~大正6年(1917)

鳥取県岩美町大谷に生まれる。東京帝国大学卒業。正岡子規、高浜虚子に俳句の手ほどきを受け、句作を始める。明治31年(1898)、鳥取市内に誕生した「卯の花会」を指導。鳥取俳句会に新風を吹き込んだ。写生文の開拓者としても知られ、自伝姓の強い「夢の如し」は漱石に激賞された。また東京帝国大学附属図書館の司書官として活躍するなど、草創期の日本の図書館発展に貢献した。

寒川鼠骨
明治8年(1875)~昭和29年(1954)

愛媛県松山市三番町に生まれる。本名、陽光。碧梧桐や虚子との交流から子規に師事し、「人間は最も少ない報酬で最も多く働くほどエライ人ぞな。一の報酬で十の働きをする人 は百の報酬で百の働きをする人よりエライのぞな。」と子規の勧めで日本新聞記者となる。子規没後は根岸の子規庵保存に生涯を捧げた。

コンディション他

※『俳人の書画美術』(集英社)解説文より
明治三十二年頃の作か。ほぼ同種の内容の画と同じ賛のものが遺っている。病床に筆をとる子規の写生の画に
 湯たんぽに足のとゞかぬふとん哉 方
 画箋紙に鼻水にじみ寒かな 鳴雪
の賛がある。同年冬十二月初旬に病室の南手にガラス戸が入り、暖炉が設けられ暖かい冬を過ごすことが出来た年のことである。
 なお、本格的なストーブ(暖炉) は、明治三十三年十一月に設置されている。

『俳人の書画美術』の解説にあるように、同書所収の「病床図画賛」と同種の作品で、子規が自身の病床姿を描いた貴重な作品(自画像)である。