松花堂昭乗
天正12年(1584 ※1582年の説あり)~寛永年(1639)
出生は、大阪の堺または奈良の春日とも伝わるが定かではない。姓、喜多川。名、式部 。通称、滝本坊。慶長5年(1600)、石清水八幡宮の社僧となり、次いで京都男山滝本坊実乗の弟子となり 、滝本坊没後、瀧本坊の住職となる。書を青蓮院尊朝法親王に御家流を学び、空海を渇 仰して、大師流の書を好んだ。晩年は、松花堂流(または滝本流)と呼ばれる書風を完 成、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称される。近衛信尋、石川丈山、 江月宗玩、沢庵宗彭らと交流し、当時一級の文化人であった。
本紙に小折れ、裂に傷み。