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D-670 荻生徂徠

D-670 荻生徂徠Ogyu Sorai

 荻生徂徠 1
 荻生徂徠 2
 荻生徂徠 3
作家名
D-670 荻生徂徠おぎゅうそらい
作品名
本阿和尚宛書状
価格
180,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法65.1x30.3
全体寸法(胴幅)66.5x120㎝
作家略歴

荻生徂徠
寛文6年(1666)~享保13年(1728)

徳川綱吉の侍医荻生方庵の次男として江戸に生まれる。名、双松(なべまつ)、字、茂卿。通称、は惣右衛門。父の蟄居により25歳まで上総国(現在の千葉県中部)で過ごす。元禄9年(1696)、柳沢吉保に出仕。将軍綱吉の待講義を務め、儒学で求める道とは天下を治める政治の道であるとし、客観的な秩序を重視する政治論に重きを置き、赤穂浪士処断の際、法にのっとり厳罰に処すべきと綱吉に献言する。朱子学や伊藤仁斎を批判し、四書五経の正確な読解のための古代語重視の立場に立った古文辞学を大成する。弟子に太宰春台、服部南郭等がいる。著作に『訳文筌蹄』『論語徴』『弁道』『弁名』など。

コンディション他

【原文】
接貴簡驚入
存候。如法尓来
絶音事候。先以
貴寺御入院候而
建立辺之儀、随
分ニ被成、唯今御
退隠之由、扨々御目
出度存候。愚拙
儀も無事相勤候。
就テハ(虫損)
(虫損)五百石賜候。
病身故、十年計
已来諸事之勤労
免許ニ而目白ノ辺
得借宅置有候。
甥養子ニ仕候。最早
以前懸御目候時分とハ
殊之外相違候て
老衰申候。足下も
嘸と存や□申候。
此間、従
公儀被 仰付候儀ハ、
六諭衍義与申書、
板行被仰付候ニ付、序
并点被仰付候。戸田
山城守殿ニて被
仰渡、前後十余
度罷成候。病嬾之
愚拙、扨々こまり
申候。兼而此儀、
御やう候而、御尋被
仰下候与存候。朱墨
被懸御意忝存候。
近来者、書状相
認候由、殊之外之
嫌ニ罷越候而、何方之
御状も返事不仕候へ共、
旧知不勝懐
然之至、及貴
答候。時下寒甚
千万自愛
恐々頓首。
  荻生惣右衛門
 極月朔日 惣茂卿
本阿和尚

【訳文】
お手紙に接しまして驚きました。それ以来、御無沙汰しておりました。まずもって貴刹
に御入院なされ、御普請のことなど、随分になされ、唯今御退隠なされたとのこと、御
目出たく存じます。わたくしも無事に相勤めておりました。つきましては(虫損)五百
石を賜りました。病身のことゆえ、十年ばかりこの方は諸事の勤労は御免となりまして
、目白のあたりに借宅を借り置きまして、甥を養子にしております。もはや以前に御目
にかかった時分とは、ずいぶんと外見も違って老衰しております。あなたさまもさぞや
と存じます。
このあいだ、公儀より仰せ付けられましたのは、『六諭衍義』と申します書の、板行に
あたって、その序文と訓点をつけるよう仰せ付けられました。戸田山城守殿で作業する
ようにとのことでしたので、前後十余度にわたって出向きました。病弱の愚拙にとって
は、さてさて困ったことでありました。かねてこの件につきましては、御用あって、お
尋ねくだされたと存じます。朱墨を御意にかけられまして忝なく存じます。
近頃では、書状を認めますのも、ことのほか嫌になりまして、どちら様からの御状にも
御返事いたしておりませんが、旧知の懐しさにたえず、貴答に及びました。時下、寒さ
甚だしく、どうぞ御自愛くださいませ。恐々頓首。
  荻生惣右衛門
 極月朔日 惣茂卿
本阿和尚

※文中『六諭衍義』の刊行を述べていることから、同書刊行の享保6年(1721)、徂徠56歳の書簡と推定。