広瀬淡窓
Hirose Tansou

広瀬淡窓1
広瀬淡窓2
広瀬淡窓3
作家名
広瀬淡窓 ひろせ たんそう
作品名
詩書(双幅)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法57×127.2㎝
全体寸法76×192.5㎝
註釈

【原文】
采唐及芍薬 作者在風時
細写閭巷態 欲為庙堂規
請看従軍詠 不是介冑為
春宮秋閨怨 豈必紅裙詞
古義立明表 後人迷路岐
遂令経筵上 全廃国風詩

斎中読書 建
(五言詩)

【訓読】
采唐及び芍薬は、作者風の時にあり。
細かに閭巷の態を写して、朝廷の規則としようとする。
請う、従軍の詠を看よ。これ介冑の為ならず。
春宮・秋閨の怨み、あに必ずしも紅裙の詞のみならんや。
古義は明表を立つるも、後人は路岐に迷う。
遂に経筵の上をして、全く国風の詩を廃す。

【訳文】
『詩経』にある「采唐」や「芍薬」の詩は、作者が民間にあった時のものである。
詳細に庶民の暮らしを描写して、朝廷の規則に生かそうとしたのである。
従軍の歌を読んでみてください。それらが歌うのはただ勇ましいことだけでしょうか。
春の後宮や秋の孤閨に一人残された女の怨みごとは、ただ妓女の戯れの詞なのでしょうか。
古代の精神を探る古義の学は、正しい評価をしていますが、
かえって後世の人(朱子学の徒)が、『詩経』の解釈に迷ってしまったのです。
そして、ついに天子様への講経の席では、『詩経』国風の詩は、
すべて淫靡なものとして排斥されてしまったのです。

【注釈】 采唐―『詩経』鄘風・桑中の中の詞「爰采唐矣」(ここでねなしかづらを取る)に由来する。「桑中」は男女の逢い引きを詠ったもの。
芍薬―『詩経』鄭風・溱洧(しんい)の詞「贈之以芍薬」(芍薬の花を贈り物にする)に由来する。溱洧は男女の交際を詠ったもの。
閭巷―村里の道。村里。または民間。
庙堂(廟堂)―祖先の霊を祀った建物。政治を行う所。朝廷。 介冑―よろいかぶと。甲冑。
紅裙―くれないのもすそ。転じて妓女または美人。
経筵―天子が経書の講義を聞く席。

広瀬淡窓は『詩経』の講義を亀井昭陽(亀井南冥の子)から受けている。亀井南冥の学統は荻生徂徠以来の古文辞学に属しており、朱子学の教訓的『詩経』解釈とは相容れないものであろう。

【原文】 古文出孔壁 紛招千載疑
身非古董客 真贋何得知
伏書如食茶 孔書如含飴
滑甘知完善 苦渋恐残虧
菱花生昬暈 百象皆嵾差
凡鏡取明徹 亦可正須眉

斎中読書 廣瀬建
(五言詩)

【訓読】
古文は孔壁より出でて、紛として千載の疑いを招く。
身は古董の客にあらずして、真贋は何ぞ知るを得んや。
伏書は茶を食すがごとく、孔書は飴を含むがごとし。
滑らかにして甘いは善のまったきことを知る。苦く渋いは残虧を恐る。
菱花は昬暈を生じ、百象みな嵾差たり。
凡そ鏡は明徹を取りて、また須眉を正すべし。

斎中読書 廣瀬建

【訳文】
『古文尚書』は孔子先生の故宅の壁から出てきたが、その真贋をめぐっては、
諸説紛々として、千年にわたる疑問を残した。
私は骨董屋のお客ではないから、どうしてその真贋など区別できようか。
伏生が壁に埋めた『今文尚書』の読後感は、お茶の葉を食べるように苦いもので、
孔子先生の壁から出てきた『古文尚書』の読後感は、飴を舐めるように心地よい。
『古文尚書』の読み口が滑らかで甘いのは、その善なるものが極まったためだと思う。
『今文尚書』の読み口が苦くて渋いのは、これが完本でなく残欠本であるためではないかと思う。
鏡のようであった私の心には、ぼんやりとした雲がかかり、色々なものがみな食い違って見えてしまう。
ここはやはり物事をはっきりと見通せる鑑識をもって、改めてその真贋を吟味すべきであろう。

斎中読書 廣瀬建

【語釈】
○古文出孔壁―漢の武帝の時代に魯の共王が孔子の邸宅をこわした時、壁の中から出てきた古文(漢以前の文字)の経書。『書経』『孝経』など。特に『古文尚書』をいう。現在では偽作されたものとされる。『漢書』芸文志参照(ちくま学芸文庫版517頁)。
○伏書―秦の始皇帝が焚書坑儒をおこなった時、済南の伏生は典籍を壁の中に隠匿した。これが漢の時代に世に出現した。これを『今文尚書』という。『漢書』芸文志参照(ちくま学芸文庫版517頁)。
○残虧―「虧」(き)は欠けること。残欠となったこと。
○菱花―ひしの花。または、鏡の別名。庚信「鏡賦」に「日に照らせば則ち壁上に菱生ず」とあるという。
○昬暈―昏暈に同じ。暗いかさ。ぼんやりとしたもの。
○嵾差―参差に同じ。不揃いであるさま。入り交じっているさま。くいちがっていること。
○明徹―物事が明らかではっきりと見通せること。
○須眉―鬚眉に同じ。ひげとまゆ。
文献学的には後代の偽作とされる『古文尚書』であるが、その解釈の歴史は古く、またその内容には優れた儒教思想が反映されている。一方、これよりも古いとされる『今文尚書』は、完全なものではなく、完全な思想を求める上で不安がある。
淡窓は、古文辞学派につながる自身の学統を考えれば、当然『今文』を重視すべきことはわかっているが、それでも心情的には、『古文』の優れた思想に共鳴してしまう。その揺れ動く心境を詠ったものであろう。