関鉄之介
文政7年(1824)~文久2年(1862)
水戸藩士関新兵衛昌克の子として、水戸上町馬喰町片町(現在の茨城県水戸市栄町2丁目付近)に生まれる。名を遠、字は士仁、通称は初め鉄之介、のち新兵衛。号に楓巷、丹楓、錦堆、錦堆逸など。万延元年(1860)3月、同志と共に桜田門外に大老井伊直弼を襲撃、暗殺する。各地に潜伏するが、文久元年(1861)10月、越後で捕われ、翌文久2年5月11日、日本橋小伝馬町の牢において斬首された。享年39歳。
【原文】
漾々帯山光
澄々倒林影
那知石上喧
却益山中静
檉斎
【訓読】
漾々と山光を帯び
澄々と林影を倒す
那んぞ知る、石上の喧びすきを
却りて山中の静けさを益す
檉斎
【訳文】
広々と山の輝きが広がり
清らかに木々の影が伸びている
岩の上の喧噪も、どうということはない
かえって山中の静寂を増すだけだ
檉斎
本紙、若干ヨゴレ。