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T-014 梅田雲浜

T-014 梅田雲浜Umeda Unpin

梅田雲浜
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梅田雲浜
梅田雲浜
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梅田雲浜
梅田雲浜
作家名
T-014 梅田雲浜うめだ うんぴん
作品名
詩書と渡辺健蔵宛書簡
価格
250,000円(税込)
お申込中
作品詳細

詩書
掛け軸 紙本 蠟箋紙裂 合箱
本紙寸法28.3x122.8cm 全体寸法(胴幅)43.4x203cm

渡辺健蔵宛書簡
掛け軸 紙本 紙裂 合箱
全体寸法(胴幅)65.3x196㎝

作家略歴
コンディション他

【詩書・原文】
安政二年八月某日、渡辺多惣次、自北越来訪余廬、与談時事、多惣次示所其作詩云、宇宙精誠、是日東曽聞貪戻百蛮風、神州万世、天孫在何用儒生文字功、可謂傑作、余白、天下之士、徒知天孫之在而不知天孫之可尊也。徒知天孫之可尊而不知当竭力於可尊之義也。我以此説、語人則不応、不応必疑之。古人云、芸益工而、人益困、豈独芸哉。多惣次聴此説、大喜且請書、余病中無気力、勉強援筆付之然、是亦属無用文字耳。雲浜梅田定明「雲浜」

【詩書・訓読】
安政二年八月某日、渡辺多惣次、北越より余の廬を来訪し、ともに時事を談ず。
多惣次、示す所の其の作詩に云はく、
 宇宙精誠、是れ日東曽つて聞く、貪戻の百蛮風、
 神州万世、天孫ましませば、儒生の文字の功を何ぞ用いん。
傑作と謂うべし。
余白さく、天下の士、徒らに天孫のましますを知りて、天孫の尊とぶべきを知らざる也。徒らに天孫の尊とぶべきを知りて、当に尊ぶべきの義に力を竭くすべきを知らざる也。
我れ、此の説を以て、人に語るに、則ち応ぜず、応ぜずして必ずこれを疑ふ。
古人云はく、芸益ます工みにして、人益ます困る、豈に独り芸のみならん哉。
多惣次、此の説を聴きて、大いに喜こび、且つ書を請ふ。余、病中にして気力無し。
勉強して筆を援りて之に付す。然して、是れまた無用の文字に属すのみ。

雲浜梅田定明「雲浜」

【詩書・訳文】
安政二年(1855)八月某日、渡辺多惣次が北越から私の草庵を来訪したので、ともに時事問題を談じた。多惣次が示した、自作の漢詩には次のようにあった。
 宇宙は精誠である。日本はかつて蛮族の風俗であったというが、  神州は万世一系で、天孫がいらっしゃるので、儒学の典籍など必要がない。
これは傑作と謂うべきものだ。
私は言った、天下の人士は、ただいたずらに、天孫がいらっしゃることだけを知って、天孫を尊とぶべきことを知らない。さらに、いたずらに天孫の尊とぶべきことだけを知って、まさに尊ぶべき大義に力を尽くすべきことを知らないのである。
私がこの説を人に語っても、誰も反応がない。反応がないだけではなく、必ず疑われる。
古人が言った、芸がますます巧みになると、人間はますます窮するようになると。これはただ芸だけにあてはまることだろうか。
多惣次は、この話を聴いて、大変喜び、また私にその書字を依頼した。私は病床にあって気力が無いが、あえて力をふり絞り、筆の助けをかりてこれを書いて渡した。そして、これまた無用の文字というべきものであるだけなのだ。
                                  雲浜梅田定明「雲浜」

【書簡・原文】
貴村惣二郎、登京
ニ而、華翰相達、拝
見仕候。如来諭、時下
殊暑甚敷候処、愈
以御健勝被成、御起居
候段、奉賀候。随而拙者、
無事消光仕候間、乍
憚御省念可被下候。扨
御賢父様ニも五月より
御大病之処、此節ニ
至り少々者御快復
之よし、驚入申候。元
来肝之強き御気
質ニ、不平之事共
有之抔、中之物迄
胸中之磊塊ニ澆き
過候而、祟り相成し候
御事と奉遠察候。
何卒御侍養第一、
是所祈御坐候。
昨年来ハ親類中、
姦徒田地押領
一条と相平き候よし
奉賀候。
閏五月中、貴家旦
那寺之上人御訪被
下、其節、大人殿之
御書状拝見仕候。其
後、上人如何被致候也。
一向ニ相見え不申候。
其節、琴台之書、
御送り被下奉謝候。
花井喜十郎え御和哥
之御作御示し被下、感
吟仕候。
其節、来書云、山口
要之口給今ニ止ミ
不申、風なくして
列子も困ルと申越
候よし云々。扨々、風之
様ナル男ニ而、笑止ニ候。
此節者旧里え帰候と
相見、先達一書を送、
上方好き有は、を世
話可致様申越候得共、
風之様ナ人物之口者、無之候。
貴兄除夜之御作
三首、拝吟仕候。
福田肇、是者昨
年より旧里え帰り申候。
時々出京いたし申候。
余程志も有之、至極
堅固之人物ニ而、頼
母敷存候。毎々貴兄
之事、噂申出居候。
天気者御国と同様
ニ而、此迄之処者、先
好時候ニ候。
拙作之韻を御用候而
之御作、御寄被下、感
吟仕候。
僕も昨年冬より当
二月迄、用向有之、
長州萩え相向罷在
候。帰後多用ニ取紛、
詩作者一向ニいたし
不申、其故、惣二郎
えも古人之句を認
遣し申候。
十三四日より用向ニ而、
大和より大坂え懸参 申候。出立前、取込中、
不能細答、尚期
後ノ便候。頓首不乙。
 七月十一日
   梅田源二郎
渡辺健蔵様
    御下
二白、大人え此書御
覧ニ御入可被下候。別段
呈書不仕候。
御菓子料封、御恵
贈被下奉厚謝候。愚妻
よりも大人え御見舞申
出し候。
当六月
烏丸通御池上ル
丁え転宅仕候。
  梅田源二郎

(表書)
越後高田在、天野原村、渡辺健蔵様 貴答
七月十一日認、京師、梅田源二郎

【書簡・訓読】
貴村惣二郎、登京にて、華翰相い達し、拝見仕り候ふ。
来諭のごとく、時下殊に暑さ甚しく候ふ処、
愈よ以て御健勝、御起居成され候ふ段、賀し奉り候ふ。
随て拙者、無事消光仕り候ふ間、憚りながら御省念下さるべく候ふ。
扨て、御賢父様にも、五月より御大病の処、此の節に至り、
少々は御快復のよし、驚き入り申し候ふ。元来肝の強き御気質に、
不平の事共これ有る抔、中の物まで胸中の磊塊に澆ぎ過ぎ候ひて、
祟り相い成し候ふ御事と遠察し奉り候ふ。何卒御侍養第一、
是れ祈る所に御坐候ふ。
昨年来は、親類中姦徒、田地押領、一条と相い平ぎ候よし賀し奉り候ふ。
閏五月中、貴家旦那寺の上人、御訪れ下され、その節、大人殿の御書状拝見仕り候ふ。
その後、上人いかが致され候ふや。一向に相見え申さず候ふ。
その節、琴台の書、御送り下され謝し奉り候ふ。花井喜十郎へ御和哥の御作、
御示し下され、感吟仕り候ふ。その節、来書に云く、山口要の口給、
今に止み申さず、風なくして列子も困ると申し越し候ふよし云々。
扨々、風の様なる男にて、笑止に候ふ。この節は旧里へ帰り候ふと相い見え、
先達て一書を送り、上方好きあらば、御世話致すべき様、申し越し候得共、 風の様な人物の口は、これ無く候ふ。貴兄除夜の御作三首、拝吟仕り候ふ。
福田肇、これは昨年より旧里へ帰り申し候ふ。時々出京いたし申し候ふ。
余程志もこれ有り、至極堅固の人物にて、頼もしく存じ候ふ。
毎々貴兄の事、噂申し出だし居り候ふ。天気は御国と同様にて、
これ迄の処は、先ず好き時候に候ふ。拙作の韻を御用い候ふての御作、御寄せ下され、
感吟仕り候ふ。僕も昨年冬より当二月まで、用向きこれ有り、長州萩へ相い向かい罷り在り候ふ。帰後、多用に取り紛ぎれ、詩作は一向にいたし申さず、その故、
惣二郎へも古人の句を認め遣し申し候ふ。十三四日より用向きにて、
大和より大坂へ懸け参り申し候ふ。出立前、取り込み中、細答あたはず、尚後ノ便を期し候ふ。頓首不乙。
 七月十一日
   梅田源二郎
渡辺健蔵様
    御下
二白、大人へこの書御覧に御入くださるべく候ふ。別段呈書仕らず候ふ。
御菓子料封、御恵贈下され厚謝し奉り候ふ。愚妻よりも大人へ御見舞い申し出し候ふ。
当六月、烏丸通り御池上ル丁へ転宅仕り候ふ。
  梅田源二郎

(表書)
越後高田在、天野原村、渡辺健蔵様 貴答
七月十一日認、京師、梅田源二郎

【書簡・訳文】
 貴村の惣二郎が上京したので、お手紙が届きまして、拝見いたしました。 御話のように、現在特に暑さが甚しいおりですが、いよいよ御健勝にお過ごしの由、
慶賀申し上げます。わたくしも、無事に過ごしておりますので、どうぞ御安心くださいませ。
 さて、御父上には、五月から御大病のよしですが、このところ、少々御快復なされたとのこと、驚き入りました。もともと肝の強い御性質に加えて、不平の事もあるなど、色々と胸中の心魂にそそぎこまれましたので、それが祟りとあいなられたことではないかと拝察申し上げます。なにとぞ御養生専一と祈り申すところでございます。
 昨年には、親類中の姦徒による田地の押領などがあったようですが、一円平穏になられました由、賀し奉ります。閏五月中に、貴家の旦那寺の上人が、御訪問くださいまして、そのおり、大人殿の御書状を拝見いたしました。その後、上人はいかが致されましたか。一向にお見えでございません。
 その節、東条琴台の書を御送り下さいまして御礼申し上げます。花井喜十郎へも御和哥の御詠作を御示し下さいまして、感吟いたしております。その節の来書に、山口要の口の悪さが今に止まず、「風なくしては列子も困る」などと申してきたよし、拝読しました。さてさて、風の様な男で、笑止千万でございます。この節は郷里へ帰ったと見えまして、先だって手紙を送って、上方好きがいたら、御世話くださる様、申し越してきましたが、風の様な人物の勤め口はございません。
 貴兄の除夜の漢詩三首は拝吟いたしました。福田肇も昨年より郷里へ帰りました。時々出京しております。よほど志もあって、特に堅固な人物と いつも貴兄の事を噂さしております。ここの天気は御国と同様で、これまでのところは、まず良い時候と存じます。拙作の漢詩の韻をお使いになられての御詠作を御寄せ下さいまして、感吟いたしました。わたしも昨年冬から当二月まで、用向きがございまして、長州の萩へ行き、滞在しておりました。帰後は多用に取り紛ぎれて、詩作は全くしておりません。それで、惣二郎へも古人の句を書いて遣わした次第です。十三四日からは、これも用向きで、大和から大坂へ参ります。その出立前の取り込み中で、委細申せませんでした。後便を期したいと存じます。頓首不乙。
 七月十一日
   梅田源二郎
渡辺健蔵様
    御下
二白、大人へも、この書状を御覧に御入くださいませ。別に呈書は申しません。
御菓子料を御恵贈下さいまして、深謝申し上げます。愚妻も大人へ御見舞いを申しあげております。当六月に烏丸通り御池上ル丁へ転宅いたしました。   梅田源二郎

(表書)
越後高田在、天野原村、渡辺健蔵様 貴答
七月十一日認、京師、梅田源二郎
、頼もしく見ております。

詩書:まずまず美品。
渡辺健蔵宛書簡:表具、多少ヨゴレ。