山崎弁栄(辨榮) Yamazaki Bennei

安政6年(1859)~大正9年(1920)

法然の再来ともいわれる、近代仏教界の巨人

千葉県東葛飾郡沼南町に生まれる。幼名、啓之助。別号、仏陀禅那、無所得子、不可知童子。弁栄上人、弁栄聖者とも呼ばれる。浄土宗、篤信の家庭に育つ。幼年より、漢籍や、近所の浄土宗医王寺、真言宗善竜寺へ行き仏書に親しむ。明治12年、小金東漸寺静誉大康(大谷)老師のもとで得度、弁栄を名乗る。明治14年、東京に遊学、増上寺学頭寮(福田行誡)、浅草日輪寺、田端東覚寺などで勉学に勤める。このあいだも念仏精進は怠らず、翌15年8月には医王寺の薬師堂で参籠修行し、続いて筑波山で2カ月の念仏三味修行を行っている。こうしたのち同年11月に小金東漸寺で宗戒両脈を相承した。明治16年、宗円寺で一切経7334巻を読誦。同年、小金東漸寺に戻る。師、大康老師死寂、百日の別時念仏を行う。明治18年、五香の説教所を復興し、新寺(後の善光寺)建立を発願、勧進一厘講、真実講などを設け、米粒やごま粒に名号、『般若心経 』、歌などを書き(米粒細字)、また守り本尊などを描いて勧募の資とした。明治24年、善光寺が建築され、住職に任命されるため、教師補に叙任される。明治27年12月、インド、スリランカ巡礼に出発、翌28年3月帰国。この時期以後、大正9年の逝去まで伝道の日々を送る。山崎弁栄は自らの信仰を光明主義、円具教と呼び、阿弥陀仏を諸仏の根本仏として、念仏によって阿弥陀仏の知恵と慈悲の光明のなかに生きることを説いた。

山崎弁栄(辨榮)
阿弥陀三尊来迎図
山崎弁栄(辨榮)
蓮華蔵世界
山崎弁栄(辨榮)
観音菩薩図
山崎弁栄(辨榮)
詩書(双幅)
山崎弁栄(辨榮)
親愛図(慈母観音)
山崎弁栄(辨榮)
赤茶楽 絵・聖観音
山崎弁栄(辨榮)
阿弥陀如来図
山崎弁栄(辨榮)
名号・南無阿弥陀仏
山崎弁栄(辨榮)
光明名号摂化十方
山崎弁栄(辨榮)
釈迦図
山崎弁栄(辨榮)
慈眼視衆生
山崎弁栄(辨榮)
親愛図(慈母観音)
山崎弁栄(辨榮)
瀧見観音図
山崎弁栄(辨榮)
勢至菩薩像
山崎弁栄(辨榮)
観音菩薩図
山崎弁栄(辨榮)
弘誓深如海
山崎弁栄(辨榮)
月見観音図
山崎弁栄(辨榮)
阿弥陀三尊来迎図
山崎弁栄(辨榮)
釈迦三尊図
山崎弁栄(辨榮)
観音菩薩図
山崎弁栄(辨榮)
蓮如法語図
山崎弁栄(辨榮)
詩書
山崎弁栄(辨榮)
南無阿弥陀仏
山崎弁栄(辨榮)
遊戯三昧
山崎弁栄(辨榮)
阿弥陀三尊来迎図と二祖の像(三幅対)
山崎弁栄(辨榮)
山崎弁栄讃 楊柳観音図
山崎弁栄(辨榮)
山崎弁栄讃 文殊菩薩図
山崎弁栄持蓮観音図
持蓮観音図
山崎弁栄 清昿
清昿
山崎弁栄 阿弥陀如来図
阿弥陀如来図
山崎弁栄 阿弥陀三尊来迎図
阿弥陀三尊来迎図
山崎弁栄 釈迦如来三尊像
釈迦如来三尊像
山崎弁栄 阿弥陀三尊来迎図
阿弥陀三尊来迎図
山崎弁栄 文殊菩薩図
文殊菩薩図
山崎弁栄 三昧仏
三昧仏
山崎弁栄 水差し 十六應真
水差し 十六應真
山崎弁栄 出山釈迦図
出山釈迦図
山崎弁栄 阿弥陀如来図
阿弥陀如来図
山崎弁栄 釈迦図
釈迦図
山崎弁栄 親愛図
親愛図
山崎弁栄 御名号
御名号
山崎弁栄 阿弥陀来迎図
阿弥陀来迎図
山崎弁栄 阿弥陀如来図
阿弥陀如来図
山崎弁栄 三昧仏(阿弥陀如来図)
三昧仏(阿弥陀如来図)
山崎弁栄 清神茗一杯
清神茗一杯
山崎弁栄 観音菩薩図
観音菩薩図
山崎弁栄 阿弥陀如来図(三昧仏)
阿弥陀如来図(三昧仏)

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