高橋泥舟 Takahashi Deishu(deishuu)

天保6年(1835)~明治36年(1903)

江戸において、旗本山岡正業の次男として生まれる。名、政晃。幼名、謙三郎。字、寛猛。通称、精一。号、忍歳、泥舟。妹・英子は山岡鉄舟の妻。母方の高橋包承の養子となる生家の山岡家は槍の自得院流(忍心流)の名家で、長兄高橋静山に就いて槍を修行、神業と謳われるほどの評判を得るまでになる。安政3年、22歳で講武所槍術教授。万延元年、同槍術師範となり、文久3年、上洛中の将軍家茂から浪士取扱を親諭され、勅許を奉じて従五位下に叙せられ、伊勢守を称する。慶応2年新設の遊撃隊の頭取。鳥羽伏見の敗戦後、帰東、謹慎する慶喜を警護にあたる。勝海舟が西郷隆盛との会談に際し、使者として泥舟を選ぶが、主君慶喜の身を案じ、それを辞退し、義弟山岡鉄舟の駿府派遣を提案した。廃藩置県後は、徳川家が静岡に移住するのに従い、地方奉行など勤め、東京に隠棲して書を楽しむなどの余世を送った。幕末三舟の一人と称される。

高橋泥舟 一行書
一行書
高橋泥舟 五言律詩
五言律詩
高橋泥舟 洗心
洗心
高橋泥舟 詩書
詩書
高橋泥舟 瑤琴一曲来薫風
瑤琴一曲来薫風
高橋泥舟 髑髏
髑髏
高橋泥舟 棒
高橋泥舟 清逈
清逈
高橋泥舟 詩書
詩書
高橋泥舟 山岡鉄舟 龍虎
龍虎
高橋泥舟 詩書
詩書
高橋泥舟 新緑園林間一休
新緑園林間一休
高橋泥舟 詩書
詩書
高橋泥舟 望僲園にて
望僲園にて
高橋泥舟 慎始敬終
慎始敬終
高橋泥舟 一行書
一行書
高橋泥舟 陳白沙 菊逸説(六曲一双屏風)
陳白沙 菊逸説(六曲一双屏風)

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