誠拙周樗 Seisetsu Shucho

延享3年(1746年)- 文政3年(1820)

伊予国宇和郡柿ノ浦(愛媛県南宇和郡愛南町)の人。号、無用道人。7歳の時、宇和島仏海寺の霊印不昧について出家。16歳の時、海岸寺の東嶽、龍山の荊林、岡山宝福寺の大休慧昉禅に掛錫。古月禅材下、武蔵永田東輝庵の月船禅慧の印可を受ける。後、鎌倉円覚寺仏日庵の東山周朝に円覚寺僧堂師家に請われ妙心寺派下より五山派円覚寺派下に移籍。文化5年(1808)、相模金井玉泉寺不顧庵に退隠するが、京都諸五山からのしきりの招請により、南禅寺、相国寺、天龍寺で大衆を接化。文政2年(1819)、相国寺大智院に僧堂が建立され師家に赴任。門人に、清蔭音竺、淡海昌敬、泊船昌因、武陵承芝、拙庵元章ら。詩偈に秀で人望厚く、歌人香川景樹は参禅の門人であり、松平不昧、伊達宗村の諸候、画家の岸駒、医者の福井榕亭らが親炙を受ける。大正8年(1919)、誠拙の百年忌に際し、大正天皇より大用国師の諡号を受ける。著書に「忘路集」「誠拙禅師語録」「虚行実記」「誠拙禅師和歌集」「雲門関」「正法眼」等。

誠拙周樗 一日不作一日不食
一日不作一日不食

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