下田歌子 Shimoda Utako

安政元年(1854)~昭和11年(1936)

岐阜県恵那市岩村町に生まれる。幼名は鉐(せき)。16歳で上京し宮中に仕える。皇后より「歌子」の名を賜る。25才で結婚のため退官後、桃夭女塾を開講。華族女学校(現・学習院女子中・高等科)開設時に中心的役割を果たす。明治26年(1893)欧米各国を視察し帰国すると、明治32年(1899)一般女子への教育を広めるため実践女学校、女子工芸学校を設立する。

下田歌子 詩書
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