中林竹洞
墨蘭図
中林竹洞

安永5年(1776)、名古屋桑名町に産科医中林玄棟の子として生まれる。幼名大助、字伯明、初号筆樵、又号丈昌。後に字成昌、号竹洞と改める。晩年は沖瞻、又は痴翁といった。他に、東山隠士・東山居士・太原虚庵・泰蔵など。14歳の時、山田雲嶂に、また山本梅逸とともに神谷天遊に学び南画の研究を積む。 享和3年(1803)、 27歳で上京。頼山陽・貫名海屋・浦上春琴などとも親交する。 文化10(1813)年以来『平安人物志』文人画家の部の筆頭に名が連ねられる。山水や四君子の画題を得意とし、中国画を範としながら、独自の高雅な画風を確立する。 著書には『画道金剛杵』『竹洞画論』など。子の竹渓は梅逸に師し、土佐派や南宗派をとりいれた画風を樹立。嘉永6年(1853)没。

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