村瀬太乙
達磨
村瀬 太乙

文化元年(1804)、美濃上有知村の豪農村瀬周助の次男として生まれる。村瀬一族には藤城・立斎・秋水の三兄弟が有名。名を外治郎、黎。字は太一。号に梅園、太乙、太乙堂、放屁先生等がある。幼少期、曹洞宗善応寺晦巌善知に学ぶ。のち村瀬藤城の梅花村舎で学び、文政8年(1825)、23歳のとき、頼山陽の内弟子となる。山陽没後、一時帰郷するが、天保8年(1837)、名古屋長島町に私塾を開く。弘化元年(1844)、犬山成瀬家の私学校、敬道館の教授となり、以後、明治3年(1870)、犬山に隠棲するまで名古屋に住む。飄逸で禅的な独特の画風で知られる。漢詩人、儒者。

禅画にもいろいろあるが、達磨が空を飛ぶのは、まさに奇人太乙の真骨頂か

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