久松真一記念館

禅体験

一二月一日、やっと湘山に参ずることも、禅堂内にて坐ることも許された。参じた時の室内での湘山は、平時とは全く打って変わって、近づき難い孤危峭峻なる千仭の断崖絶壁であった。彼は、その際だった徹底な応変には簡単を禁じ得なかった。彼にとっては、僧堂式に座禅し、しかも禅堂内で雲水と同じ規矩によって接心するのは、これが初めてであり、のみならずそれがまた、一年中に最も峻烈な臘八大接心であったのであるから、心身共に従来かつて経験したことのないほどの苦痛であった。他処では見られないような堂内の殺気立った異常な緊張と、寸毫も仮借せぬ直日(現在は禅堂内の取締役)の策励と、開けっ放しの窓から吹き込む寒風とは彼を極度に戦慄せしめた。坐に不慣れのための結跏の疼痛や、首や肩や腰の凝りは刻一刻増してゆくばかりで、顔をしかめはを喰いしばり辛うじて坐相を保つことができる程度で、ややもすれば、肝心の工夫もその方へ奪われ勝ちであった。しかし他方、刻々と迫りくる独参や総参に、心は否応なしに工夫へと駆り立てられ、心身共にますます窮し行くばかりであった。湘山は入室ごとにいよいよ攀縁を絶する銀山鉄壁と化し、彼のまっ白な独眼の睨みは殺人光線となった。三日目の彼は針の穴ほどの活路もなき、通身黒漫漫の一大疑団となり、文字通り絶体絶命の死地に追い込まれた。ここでは、彼が何か或る個別的な問題を対象的に解こうとして行きつまったというようなことでもなく、あるいは普遍的全体的な問題を対象的に解こうとして解き得ず、それが大きな疑問として心中に懐かれているというようなことでもなくして、彼自身が全一的に一大疑団と化したのである。疑団とは、疑われるものと疑うものとが、一つであって、しかもそれが全体的な彼自身であるようなものである。鼠が銭筒に入って技已に窮した如く、百尺竿頭に登りつめて進退これきわまった如く、全く窮しきって身動きもできない。しかるにあにはからんや、即の時、いわゆる窮すれば変じ、変ずれば通ずるという如く、この一大疑団の彼は、忽然として内より瓦解解氷消し、さしも堅固なる銀山鉄壁の湘山も、同時に跡形もなく崩壊し、湘山と彼の間には、髪を容れる隔ても無くなり、ここにはじめて、彼は無相にして自在なる真の自己を覚証すると同時に、またはじめて湘山の真面目に相見することができたのである。ここで彼は「歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛厮結んで同一眼に見、両一耳に聞く」といった無門の語の偽らざるを知った。一斬一切斬、一成一切成といわれるように、彼が多年解決し得なかった一切の問題は、抜本塞源的に解決せられ、未だかつて経験したことのない大歓喜地を得た。彼は今、存在・非存在を越えた無生死底を自覚し、価値・非価値を絶した不思議不思悪底を了得した。

『学究生活の思い出』(昭和30年、雑誌「思想」)より

( 大正4年(1915)、妙心寺僧堂池上湘山老師会下の臘八大接心での見性体験を久松真一自らが述べた部分の抜粋。)