B-076 山本梅逸
yamamoto baiitsu








- 作家名
- B-076 山本梅逸
yamamoto baiitsu - 作品名
- 芙蓉檀鳥図
- 価格
- 450.000円
- 作品詳細
- 掛け軸 紙本淡彩 金襴裂 象牙軸 石河有リン箱
作品寸法28.9×123.7p
全体寸法46.6×197p - 作家略歴
山本梅逸
天明3年(1783)〜安政3年(1856)名古屋天道町(大須)に彫刻を業とする山本有右衛門の長男として生まれる。本名、亮。幼名、卯年吉。初号、春園、葵園。寛政6年(1794)、父が亡くなると彫刻工ではなく画家として身を立てることを決意する。初め南蘋派の山田宮常、浮世絵の山本蘭亭、四条派の張月樵のいずれかに絵を学んだといわれ、張月樵説が有力とされるが定かではない。やがて当時名古屋の文化人たちのパトロンであった神谷天遊の庇護のもと画の修業に励む。(一説では、山本梅逸に絵の最初の手ほどきをしたのも、神谷天遊にを引き合わせたのも中林竹洞だという。)享和元年(1801)、神谷天遊が没し、翌享和2年春、中林竹桐とともに上洛、多くの名画を模写するなど画業を研鑽するも、翌享和3年8月には中林竹洞とともに帰郷する。その後、名古屋を起点に全国各地の文人と交わり、天保元年(1830)には「文豹図」を藩侯に献上するなど名古屋画壇での地位を固める。天保2年秋から天保3年に掛けて再び京都に移住、当時京都を席巻していた四条派の影響を受けながら、写実性と装飾性の調和した独自な画風で高い評価を得る。安政元年、名古屋に戻る。江戸時代後期を代表する画家の一人。
石河有リン
明治3年(1870)〜昭和27年(1952)名古屋城三之丸に尾張藩国老石河正基の三男として生まれる。初め園田忠監に土佐派を、前田正忠に西洋画を学び、織田杏斎に師事し南北合法を学ぶ。花鳥画に優れる。多くの門人を養成し、名古屋画壇の重鎮として活躍。日本画家。
- コンディション他
花鳥画を得意とする山本梅逸の作風、エッセンスがよく表れた佳品。
コンディション良好、表具も笹柄の金襴がよい文人仕立て、箱書きの年紀、昭和14年(1939)頃に表具を新調したと思われます。
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