K-184 元政上人
Gensei shounin

 元政上人 1
 元政上人 2
 元政上人 3
 元政上人 3 元政上人 2
作家名
C-184 元政上人 げんせいしょうにん
作品名
炭竈
価格
230,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 大倉好斎極札 会津八一箱
本紙寸法5.6×36㎝
全体寸法35.6(胴幅)×150㎝
作家略歴

元政上人
元和9年(1623)~寛文8(1688)

毛利輝元の家臣石井元好の五男として生まれる。幼名、源八郎。諱、日政。号、妙子、幻生、不可思議等。13才で彦根藩主井伊直孝の近侍となる。病弱のため、慶安2年(1649)26歳で致仕し、妙顕寺14世僧那日豊の下で得度。明歴元年(1655)33歳の時、日豊が池上本門寺に晋山し、これを機に洛南深草に称心庵を結んで隠棲するが、元政を慕う門弟らにより、草山派とよばれる独特な一門が生じ、後に「草山教学」と呼称される教風が起こる。また、和歌を能くし、幼いころには松永貞徳から和歌や歌道を学んでおり、自ら歌会を催し、望月長孝・加藤磐斎ら多くの歌人と交流した。著に、紀行文『身延道の記』、歌集『草山和歌集』、詩集『草山集』など。

会津八一
明治14年(1881)~昭和31年(1956)

新潟県新潟市古町通五番町の遊郭「会津屋湾月楼」の次男に生まれる。号、秋艸道人、渾斎等、八朔朗。18歳頃から俳句を始め、万葉集や良寛の歌を愛読する。明治33年(1900)、新潟県尋常中学校(現県立新潟高等学校)卒業後上京、正岡子規と面会。明治39年(1906)、早稲田大学文学科卒業。同年9月、新潟県中頚城郡板倉村有恒学舎(現県立有恒高等学校)の英語教師となる。明治41年(1908)8月、初めて奈良を旅する。明治43年(1910)、有恒学舎を辞任して上京、坪内逍遙に招かれ早稲田中学校の英語教師となる。大正7年(1918)、早稲田中学校教頭となる。大正13年(1924)、第一歌集『南京新唱』刊行。昭和元年(1926)、早稲田大学文学部講師となり、東洋美術史を講義する。昭和6年(1931)、早稲田大学文学部教授となる。昭和8年(1933)、『法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究』を刊行する。昭和13年(1938)、早稲田大学文学部に藝術学専攻科を設置し、主任教授となる。昭和15年(1940)、歌集『鹿鳴集』を刊行。昭和19年(1944)、歌集『山光集』を刊行する。昭和20年(1945)、早稲田大学教授を辞任する。昭和22年(1947)歌集『寒燈集』、書画図録『遊神帖』を刊行。昭和23年(1948)、早稲田大学名誉教授となる。昭和26年(1951)、『會津八一全歌集』刊行、これにより読売文学賞を受ける。昭和29年(1954)、杉本健吉との共作「春日野」刊行。生涯に渡り奈良の古寺を巡り、美術史学者としての造詣を広げるとともに、万葉調を近代化した独自の歌風を築く。優れた歌人であり、書家としても独自の境地をきわめた。終生独身を通す。

大倉好斎
寛政7年(1795)~文久2年(1863)

京都の人。大倉汲水の長男。本姓、菅原。幼名、政吉。本名、信古。号、古昔園。文政8年(1825)、落髪して名を好斎と改める。古筆鑑定家として紀州徳川家に仕え、法橋に叙せられる。

コンディション他

炭竈  烟りそかすみてなりけり雲のしるや籠れる嶺の春のかさ

仕立て、申し分なく、良い掛けものです。

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