D-284 石川丈山
Ishikawa Jozan

 石川丈山 1
 石川丈山 2
 石川丈山 3
 石川丈山 4
 石川丈山 5 石川丈山 6 石川丈山 7
 石川丈山 8 石川丈山 9
作家名
D-284 石川丈山 いしかわ じょうざん
作品名
佐川田喜六昌俊宛書状
価格
750,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 文化九年の箱
本紙寸法89.2×16.1
全体寸法(胴幅)91.7×114 ㎝
作家略歴

石川丈山
天正11年(1583) ~寛文12年(1672)

参河国碧海郡泉郷(現在の愛知県安城市)に徳川の家臣石川家に生まれる。幼名、孫介。元服後、嘉右衛門重之。別号、大拙、烏鱗子、東渓、山木山材、凹凸、六六山人、藪里翁、三足老人など。関ヶ原の戦いより家康に仕え、徳川家康の近侍となる。大坂夏の陣で、禁令に反して軍功を上げるが、禁令を破ったかどで蟄居を命じられ、浪人となり妙心寺に入る。元和3年(1617)頃、江戸で一人いた母が病気となり江戸へ出る。江戸滞在中、林羅山より、京都の藤原惺窩に師事することを勧められ、母をともない京都に戻り、藤原惺窩 に入門し朱子学を学ぶ。元和4年(1618)36歳の時、紀伊の浅野長晟侯に仕官するが数ヶ月で帰京。再び、元和9年(1623)、広島に転封された浅野長晟侯に仕官する。寛永14年(1637)、京都に戻り、相国寺畔の睡竹堂を建て住む。寛永18年(1641)、京都一乗寺に「詩仙堂」を建て、没するまでの約30年間を住む。詩文に秀で、書家であり、茶人であり、造園家であり、江戸時代初期を代表する文化人。松花堂昭乗と佐川田喜六とは特に親しく、京田辺市の一休寺(酬恩庵)の庭園は3人の合作と伝えられる。

佐川田喜六昌俊
天正7 (1579)~寛永20年(1643)

下野国(現栃木県)生まれ。大津城攻めで反徳川方として戦功をあげたが、関ケ原合戦後、徳川直参の永井家に仕え、山城国淀藩家老となる。淀城の造園や水車を活用した引水に功績を残す。寛永15年(1638)に淀藩を離れ、一休禅師を慕い、一休寺(酬恩庵)の傍に草庵「黙々寺」を結んだ。林羅山、松花堂昭乗、小堀遠州、石川丈山らと交流し、江戸時代初期を代表する歌人であり文化人であった。

コンディション他

【原文】

尚々、前日高十郎
兵衛殿より預御音
問候間、可然様ニ御礼
頼入申候、貴老御一門
各御平安ニ候哉、承
遠路預御脚
度存候、此方只尺之間
夫、御手簡再三
さへ千里と斉ク、二十年
拝見、殊珍敷
斗令経歴候、況於
鰯一簣并海
蒼莽之間乎、縷々
参腸一圏、遠
期面繋(カ)候、以上
恵難謝候、両
種共嗜好之
物ニ候間、別而賞
味可申候、先以御康
寧之由、珍重ニ
存候、老樗大抵
無恙様ニ候得共、年
華相廻り、老病
朽衰故にと不得
清快、期旦夕
のミニ而罷在事ニ候、
併当年も又候哉
令偸却犬馬之
年候半かと存候、来
春ニ罷成、御上京
候ハゝ、少御尋相待申候、
前回邂逅来
訪之所ニ、倉卒
之至、非無遺思候、
和尚ニ御参会
之時分、終望之余

懐頼入申候、恐惶
不備

丈山

霜月晦日 (花押)

佐川田喜六様
御報

【訳文】

遠路御脚夫に預かり、御手簡再三拝見、殊に珍しき鰯一簣(き)ならびに海参腸一圏、遠恵謝し難く候、両種共嗜好の物に候間、別て賞味申すべく候、先ず以て御康寧の由、珍重に存じ候、老樗大抵恙(つつが)なき様に候えども、年華相廻り、老病朽衰故にと清快を得ず、旦夕を期すのみにて罷り在る事に候、併(しかしながら)当年も又候哉(またぞろや)却を偸(とう)せしめ、犬馬の年候はんかと存じ候、来春に罷り成り、御上京候はば、少し御尋ね相待ち申し候、前回邂逅来訪の所に、倉卒の至り、遺思無きに非ず候、和尚に御参会の時分、終望の余懐頼み入り申し候、恐惶不備
 尚々、前日高十郎兵衛殿より御音問に預かり候間、然るべき様に御礼頼み入り申し
 候、貴老御一門各御平安に候哉、承り度く存じ候、此方只尺(しせき)の間さへ千里と  斉(ひとし)く、
二十年斗り経歴せしめ候、況んや蒼莽の間においておや、縷々面繋(カ)を期し候、以 上

【現代語訳】

遠路を御使者に預かり、御手紙を再三拝見し、ことに珍しい鰯一器(簣=物を入れる器)と海参腸(いりこ)一折(圏=檻ですが、ここは入れ物のことでしょう)を遠くから恵まれ、お礼の申しようもありません。両方とも好きな物ですので、特に味わわせていただきます。まずもって御康寧とのこと、喜ばしく存じます。愚老(樗=アフチの木。役に立たない木)は大体つつがなく暮らしておりますが、歳月(年華=年月)もめぐり、老病朽衰のためすっきりとせず、ただ毎日を無事暮らすことを願うだけです。しかし、今年もまたぞろ、閑(却=閑、間)を盗んで、馬齢を重ねることと存じます。来春になり御上京なさいましたら、少し御尋ねくださるのをお待ちしております。前回お会いして来訪しましたが、ほんのわずかな時間で、思い残すことばかりです。和尚に御参会なさったときは、終望の余懐(※明末清初の中国の小説か)をお頼みします。
なお、前日に高十郎兵衛殿から御音問に預かりましたので、しかるべく御礼をお願
いします。貴老御一門は皆様御平安でしょうか。お聞きしたく存じます。こちらは、
わずかの間さえ千里と同じで、二十年ばかりも経歴いたしました。まして遠く時を
隔てては(蒼莽=青々として遠いこと)一層のことです。くわしく、お目にかかっ
たときにお話できることを期待しています。

【補記】

箱書きに、『文化九(1812)壬申歳霜月 永井信濃守様御家老 佐川田喜六様より頂戴』とあり、この永井信濃守様御家老佐川田喜六は、喜六の名前を襲名した、佐川田喜六昌俊の子孫と思われます。他に錦水の箱書きがありますが、錦水については詳細不明。 

ご購入前にこちらをご一読ください。

この作品の購入お申込み

作品紹介

Web
書画ミュージアム

長良川画廊
アーカイブス

過去の掲載作品より随時拡張中

このページのTOPへ