D-243 西田幾多郎
Nishida Kitarou

 西田幾多郎 1
 西田幾多郎 2
 西田幾多郎 3 西田幾多郎 4
作家名
D-243 西田幾多郎 にしだ きたろう
作品名
与清風為俗
価格
350,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法×
全体寸法(胴幅)×㎝
作家略歴

西田幾多郎
明治3年(1870)~昭和20年(1945)

石川県河北郡宇ノ気村(かほく市)に生まれ。明治16年(1883)、石川県師範学校入学。翌年、病気のため退学。明治19年(1886)、2月、北条時敬に数学を学ぶ。9月、石川県専門学校付属初等中学校第二級(翌年第四高等中学校に改称)に入学。明治20年(1887)、同校予科第一級に編入。鈴木貞太郎(大拙)、藤岡作太郎(東圃)、山本良吉らと同級。この頃、北条時敬宅に寄寓する。明治23年(1890)、第四高等中学校中退。眼を病む。明治24年 (1891)、東京帝国大学文科大学哲学科選科に入学。明治25年(1892)、鎌倉建長寺、円覚寺に参禅。明治27 年(1894)、東京帝国大学文科大学哲学科選科卒業。明治28年(1895)、石川県尋常中学校七尾分校の教諭に就任。金沢の得田寿美と結婚。明治29年(1896)、第四高等学校講師となる。明治30年(1897)、山口高等学校教授嘱託となる。この頃より、参禅への関心が高まる。雪門、滴水、廣州、虎関に参禅。妙心寺僧堂の二大接心に参禅。明治31年(1898)、1月及び7月、妙心寺僧堂の大接心に参禅。明治32年(1899)、第四高等学校教授となる。妙心寺夏末大接心に参禅。金沢洗心庵雪門老師に参禅、以降多年に渡り参ず。明治34年(1901)、雪門老師より、「寸心」居士号を受ける。明治36年(1903)、大徳寺の廣州禅師に参禅し「無字の公案」を透過。明治38年(1905)、富山国泰寺瑞雲老師に参禅。明治40年(1907)、二女幽子(5歳)死去。五女愛子(生後1カ月)死去。明治42年(1909)、学習院教授に就任。明治43年(1910)、京都帝国大学文学科大学助教授に就任。明治44年(1911)、『善の研究』出版。大正2年(1913)、京都帝国大学教授に就任。大正8年(1919)、妻寿美が脳溢血で倒れ、以後寝たきりとなる。大正9年(1920)、長男謙(23歳)死去。大正14年(1925)、妻寿美(49歳)死去。 昭和3年(1928)、京都帝国大学定年退職。昭和15年(1940)、文化勲章受章。昭和20年(1945)、『場所的論理と宗教的世界観』脱稿。6月7日、尿毒症により死去。法名、曠然院明道寸心居士。

コンディション他

美品です。

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