明治天皇/脇 高崎正風、徳大寺実則
Meiji-Tennou (Emperor) / Takasaki Masakaze,Tokudaiji Sanetsune

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明治天皇
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作家名
明治天皇/脇 高崎正風、徳大寺実則めいじ てんのう/ たかさき まさかぜ、とくだいじ さねつね
作品名
和歌
作品詳細
掛け軸 金打雲/金霞/金砂子散/金泥下絵入短冊
緞子裂 二重箱 久曽神昇旧蔵 本紙寸法6×36.1
台紙寸法31.9×103
全体寸法(胴幅)44 ×197p
註釈

高崎正風
天保7年(1836)〜〜明治45年(1912)

薩摩国鹿児島郡鹿児島近在川上村(現在の鹿児島県鹿児島市川上町)に生まれる。父は薩摩藩士高崎五郎右衛門。父五郎右衛門はお由羅騒動といわれる藩の内紛のために切腹、正風は流島となるが、のち許されて鹿児島に戻る。以降、公武合体派として国事に奔走する。明治4年(1871)、新政府に出仕。明治8年(1875年)、宮中の侍従番長。明治23年(1890)、初代國學院院長。明治21年(1888年)、御歌所初代所長に就任、明治天皇、大正天皇の歌を点した。明治28年(1895)、枢密顧問官。

徳大寺実則
天保10年(1840)〜 大正8年(1919)

右大臣徳大寺公純の長子。明治4年(1871)、宮内省に出仕。明治24年(1891)、内大臣兼侍従長に至り、明治天皇の側近として天皇を補佐した。