K-234 曽我量深
Soga Ryoujin

 曽我量深 1
 曽我量深 2
 曽我量深 3 曽我量深 4
 曽我量深 5
作家名
K-234 曽我量深 そが りょうじん
作品名
観十方無碍 (金華山岐阜城と長良川)
価格
280,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
本紙寸法34.4×67.7
全体寸法46.1(胴幅)×150㎝
作家略歴

曽我量深
明治8年(1875)~昭和46年(1971)

清沢満之の宗教哲学に立脚し、独創的な浄土史観を展開、近代仏教思想史に大きな足跡を残す。

新潟県西蒲原郡味方村(新潟市南区味方)円徳寺に、富岡量導の三男として生まれる。明治30(1897)、新潟県南蒲原郡新潟村大字指出(見附市)の浄恩寺曽我恵南の養子となり曽我姓となる。明治32年(1899)、真宗大学(現、大谷大学)本科を卒業。明治36年(1903)、清沢満之の浩々洞へ入る。明治37年(1904)、真宗大学研究院を卒業し、同大学の教授に就任。明治44年(1911)、真宗大学の京都移転に反対して辞職。郷里新潟に帰る。大正5年(1916)、清沢満之が創刊した雑誌『精神界』の編集責任者として上京。同年、東洋大学教授に就任。大正13年(1924)、同学を辞任。大正14年(1925)、大谷大学教授に再任。昭和5年(1930)、『無量寿経』に説かれる法蔵菩薩を阿頼耶識とする説が異安心とされ、同大学を退職。同年、金子大栄らと共に興法学園を創立。昭和16年(1941)、真宗大谷派の最高の学階である「講師」に任ぜられ、大谷大学教授に復職する。昭和36年(2341)大谷大学学長に就任。

コンディション他

岐阜の在家に伝わる作品で、描かれているのは岐阜城と長良川と思われます。 曽我量深の珍しい自画賛作品。

本紙に若干のシミと折れがあります。

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