D-236 徳富蘇峰
Tokutomi Sohou

 徳富蘇峰 1
 徳富蘇峰 2
 徳富蘇峰 3 徳富蘇峰 3
 徳富蘇峰 3 徳富蘇峰 3
作家名
D-236 徳富蘇峰 とくとみ そほう
作品名
満月雲山七律
価格
55.000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 金襴緞子裂 象牙軸 共箱
本紙寸法44×147.8
全体寸法59.8(胴巾)×197.5㎝
作家略歴

徳富蘇峰
文久3年 (1863)~昭和32年(1957)

肥後国(熊本県)上益城郡益城町字杉堂村に生まれる。本名、猪一郎。弟に徳富蘆花。熊本洋学校に学び、同志社英学校に移るが退学。明治15年(1882)、熊本に戻り大江義塾を開く。明治19年(1886)、『将来之日本』を田口卯吉の経済雑誌社より刊行し好評を得、一家を挙げて上京する。明治20年(1887)、民友社を設立し、総合雑誌『国民之友』を創刊、政治、経済、外交など時事問題を論じ平民主義を唱える一方、森鴎外の『於母影』、坪内逍遥の『一口剣』など文学作品も掲載した。明治23年(1890)、『国民新聞』を創刊。明治28年(1895)、三国干渉を機に、富国強兵、国家主義へと転換、英文雑誌『極東』(Far East)を刊行する。明治30年(1897)、松方内閣の内務省勅任参事官に就任。昭和4年(1929)、国民新聞社を退き大阪毎日新聞の社賓となる。昭和17年(1942)、日本文学報国会、大日本言論報国会会長に就任。昭和18年(1943)文化勲章受賞。敗戦後A級戦犯容疑者に指名され公職追放。昭和27年(1952)、公職追放解除される。同年、『近世日本国民史』100巻完成。

コンディション他

【原文】
物理人情自可明
何甞戚戚向平世
卷舒在我有成算
用捨隨時無定名
滿目雲山倶是楽
一毫栄辱不須驚
侯門見説深如海
三十年前掉臂行
『伊川撃壤集』

【訓読】
物理人情、自(おのずか)ら明(あき)らかなるべし。
何(なん)ぞ甞(かつ)て、戚戚として平世に向かわん。
卷舒、我に在(おい)て成算有り。
用捨は時に随いて名を定めること無し。
満目の雲山、倶(とも)に是れ楽しみなり。
一毫の栄辱は須(すべ)からく驚かず。
侯門、みるならく、深きこと海のごとし。
三十年前、掉臂の行(おこな)い。

【語釈】
戚戚―親しみあう様、うれえ恐れるさま、心の動くさま。
平世―おだやかな世、平和な世。
卷舒―けんじょ。才能をかくすことと表すこと。
成算―ことをなしとげる見通し。
侯門―領主の家
侯門深如海―故事成語。身分が変わると以前の交際が困難になる意。
見説―みるならく。聞くならくと同じ。見るところによれば。
掉臂―とうひ。ちょうひ。腕を振り動かす。勢いのよい、あるいは、いばっている態度。
※詩題は「龍門道中作」(龍門への道中の作品)
※作者は邵雍(しょうよう)1011‐77
中国,北宋時代の哲学者,詩人。康節はその諡(おくりな)。一生任官せず,洛陽で市井の隠者として終わったが,司馬光,富弼(ふひつ)といった政界の重鎮や,程子兄弟(程顥(ていこう),程頤(ていい))などの学者と交友。その主著《皇極経世書》では壮大な宇宙論的歴史観を展開し,特異な詩集《伊川撃壌(げきじよう)集》では自由人の喜びを率直にうたいあげる。彼は道学(のちの朱子学)の系譜からややずれるものの,その易学は朱熹(しゆき)に大きな影響。

【訳文】
ものの道理や人情は、自然に明らかになる。
どうして憂え恐れながら平和な世を求めようか。
才能を世に顕すも隠すも、私の見通しの中にある。
用いるかどうかはその時の状況によるのであって、名分を定めることはない。
見渡す限りの雲と山は、どちらも私の楽しみだ。
すこしばかりの栄枯盛衰にまったく驚くことはない。
君主の家門に入ると海のように深いものだというが、
三十年来、好きかってなことをしているのだ。

美品、優品です。

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