柳宗悦 
Yanagi Muneyoshi/Soestu

柳宗悦1
2
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作家名
 柳宗悦 やなぎ むねよし
作品名
心偈(こころうた)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
作品寸法23.9×27p
全体寸法57×129.5p
註釈

《開カレツルニ叩クトハ》は、柳宗悦が晩年、「私の長い心の遍歴(宗教的真理への思索)の覚え書き」(心偈・跋文より)として、綴ったいくつかの「心偈(こころうた)」(短句)のひとつです。これらの「心偈」は、昭和34年、69首を集め、それぞれに柳宗悦自身が註釈をつけて私家本とし刊行されました。「心偈」は他に「近代日本思想体系二十四・柳宗悦集」、「柳宗悦全集・第十八巻」、「南無阿弥陀仏付心偈」に収められています。

《開カレツルニ叩クトハ》
以下は、この「心偈」に添えられた柳宗悦自らの註釈です。

イエスはいう「叩けよ、さらば開かれん」と。この約束がどんなに有り難いものであるかは、いうを俟たぬ。だから、この教えでも感謝に余る。だが、もっとこの真理を深く見詰めると、叩くという私の行為が因(もと)で、開かれるという神の行為が果たして現れるのであろうか。「さらば」という言葉の挿入は、そう受け取られてしまう。だが、神こそは一切の因ではなっかたか。むしろ開かれているのが先で叩くのが後だという考え方が正しくはないか。叩こうが、叩くまいがそれにかかわらず、何時でも、何処でも、誰にでも、開いて待っているのが、神の慈しみの扉ではないのか。叩くという行為は既に開かれている事実を裏書きしているのに過ぎまい。叩くから開かれるのではなく、何時だとて開かれているのが、無常の扉なのである。閉ざされたり、開かれたりする扉ではない。閉ざされていると思って叩くのは、人間の無明の致すところ、この扉には、人間の考える因果の道理はあてはまらぬ。それは無上の扉なのである。だから開かれている中で叩いているという幸いの妙理を味わうべきであろう。

本紙、薄く隈取りが施されています。