D-470 板垣退助
Ichinohe Hyoue

 板垣退助 1
 板垣退助 2
作家名
D-470 板垣退助いたがき たいすけ
作品名
大江卓宛書簡
価格
御買上げ頂きました
作品詳細
扁額 紙本水墨
本紙寸法59×18.2
額寸法84.7×31.6㎝
作家略歴

板垣退助
天保8年(1837)~大正8年(1919)

土佐藩上士、乾正成の嫡男として高知城下中島町(現在の高知県高知市本町通2丁目)に生まれる。名、正形。通称、退助。戊辰戦争に東山道先鋒総督府参謀として従軍し,会津攻略を指揮した。維新後、新政府の参議に就任。明治6年(1873)、征韓論をめぐって大久保利通らと対立し、西郷隆盛らとともに辞職する。翌7年、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣らと民撰議院設立建白書を政府に提出、自由民権運動展開の契機をつくった。明治15年(1882)、岐阜で暴漢(相原尚褧)に襲撃される。その際、「板垣死すとも自由は死せず」の名言を残す。

大江卓
弘化4年(1847)~大正10年(1921)

土佐国幡多郡柏島(現在の高知県大月町)に生まれる。慶応3年(1867)、陸援隊に入隊し、討幕運動に参加。維新後、明治4年(1871)、部落解放令の実現に尽力。翌5年、マリア・ルーズ号事件に際し、裁判長として同船で使役されていた清国人を解放する。明治10年(1877)、西南戦争に呼応した反政府挙兵に失敗、翌11年逮捕投獄される。明治17年(1884)、仮出獄後は義父後藤象二郎に従い大同団結運動に参加。明治23年(1889)、第1回総選挙で立憲自由党から当選するが次の選挙で落選、実業界に転身する。東京株式取引所頭取、京釜鉄道創立委員などを務めた。

コンディション他

【原文】
拝復
御書面之趣、委細
承知仕候。明日午前
九時頃御出被下候
者ば、御面会可致
候。右貴答迄。
   草々不一
 六月五日
  板垣退助
大江卓殿

【読み下し文】
拝復
御書面の趣き、委細
承知仕り候。明日午前
九時頃、御出で下され候
はば、御面会致すべく
候ふ。右貴答迄。
   草々不一
 六月五日
  板垣退助
大江卓殿

【現代語訳】
拝復
御書面のご趣旨、委細
承知いたしました。明日午前
九時頃においでくだされば
御面会致します。
右お答えまで。草々不一
  六月五日
  板垣退助
大江卓殿

額、多少のキズ、本紙全体にヤケあり。

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