C-162 島崎藤村
Shimazaki Touson

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作家名
C-162 島崎藤村 しまざき とうそん
作品名
書幅及び封筒幅及び封書一通及び葉書書簡5通一括
価格
450,000円(税込)
作品詳細
掛け軸 紙本水墨 緞子裂 合箱
書幅本紙寸法20.3×23.6
書幅全体寸法32.7(胴幅)×171㎝
作家略歴

島崎藤村
明治5年(1872)~昭和18年(1943)

筑摩県馬籠村(岐阜県中津川市馬籠)に父島崎正樹、母ぬいの4男3女の末っ子として生まれる。本名、春樹。生家は、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。父島崎正樹は、平田篤胤派の国学者で、明治7年(1874)11月13日から明治10年(1877)12月8日まで、飛騨一宮水無神社の宮司を務める。明治7年(1874)11月17日、御輦(天皇の輿)に向かい扇を投げ入れ捕われ、明治19年(1886)、木曽の山林解放運動の首謀者として座敷牢に幽閉中死去する。また、『夜明け前』の主人公青山半蔵のモデルでもある。

明治14年(1881)、上京し、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治21年(1888)、木村熊二のもとで洗礼を受ける。明治24年(1891)、明治学院普通科卒業(第一期)。明治25年(1892)9月、明治女学校の教師となる。明治26年(1893)1月、教え子の佐藤輔子に失恋、傷心の末に教師を辞任し、キリスト教を棄教する。同年、北村透谷、星野天知らと『文学界』を創刊。明治30年(1897)、第一詩集『若菜集』を刊行。明治32年(1899)、長野県小諸義塾に赴任。第四詩集『落梅集』を刊行。同年、函館出身の秦冬子と結婚。明治39年(1906)、『破戒』を自費出版。明治41年(1908)、4月より『春』を東京朝日新聞に連載。明治43年(1910)、4人の幼い子供を残し妻冬子死去。この時までに3人の娘を失う。大正元年(1912)、『千曲川のスケッチ』刊行。昭3年(1928)、川越出身の加藤静子と再婚。昭和4年(1929)、4月より『夜明け前』を中央公論に連載。昭和10年(1935)、日本ペンクラブを結成、初代会長に就任。昭和18年(1943)、『東方の門』執筆中に大磯の自宅で倒れ、同年、8月22日、71歳で死去。

コンディション他

【書幅】
『朝を思ひ、また夕を思ふべし』

この言葉は、昭和18年(1943)に岩波書店から刊行された藤村の『飯倉だより』に所収された『芭蕉』と題された随筆に登場する。当時藤村は、東京都麻布区飯倉片町33の借家に住し、この書及び封書一通及び葉書書簡5通は、すべてこの飯倉より、静岡県袋井の山口直蔵に送られたもので、山口直蔵の詳細は不明であるが、山口直蔵は、藤村から送られた書だけでなく、その送られた際の封筒まで掛け軸にしつらえている。尚、この芭蕉の言葉は、芭蕉作といわれる「芭蕉翁行脚十八ヶ條の掟」の内の一条、《夕を思ひ旦(ひる)をおもふべし、旦暮の行脚といふ事ハ好さる事なり》に出自する。

表具と本紙に若干の折れあり。

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